フォブ(fob)

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秘密の隠れ家

フォブはウオッチ・ポケットのことである。つまり懐中時計を入れておくためのポケットのことだ。昔の日本語では、「時計隠し」と言ったものである。
時に、「フォブ・チェーン」とも、「フォブ・ウオッチ」とも使われる。その意味では「フォブ」もまた、ファッション用語のひとつである。
フォブは古いドイツ語の「フッペ」 fuppe から来ているとのこと。「フッペ」は、「ポケット」の意味であったという。それが英語になって、「時計専用ポケット」を指すようになったのだ。
フォブはどちらかといえば古い表現。ウオッチ・ポケットのほうが新しい表現ということになるだろうか。
今、もっともよく知られているウオッチ・ポケットは、ジーンズのそれであろう。ジーンズの右前ポケットの内側に添えられる、小さなポケット。あれもまたフォブに他ならない。
今日のジーンズが誕生したのは1873年ころで、当時は懐中時計が必要不可欠であった。そのために作業服であるジーンズにも当然、フォブが付けられたのである。
現在の懐中時計の源は、1504年ころのドイツに生まれているという。それは卵型の携帯時計だったので、「ニュールンベルグの卵」と称されたとのことである。
その後、幾変遷を経て、今のような丸く平たい懐中時計になったものであろう。懐中時計があったということは、それを入れておくためのポケットがあったものと思われる。が、中世のフォブについては定かではない。
1720年ころのブリーチーズの絵を見ると、フォブが描かれている。トラウザーズの一般化以前、紳士たちは皆ブリーチーズを穿いたものだ。脚にフィットした半ズボン形式の脚衣を。そのブリーチーズのウエスト位置に、左右一対の切りポケットが用意されている。つまり当時のフォブは、左右一対が多かったようである。
英語としての「フォブ」は、1653年ころから使われているという。おそらく十七世紀後半から、なんらかの時計専用ポケットがあったものと思われる。時間を確かめるために出し入れするわけだから、ブリーチーズのウエスト位置は恰好の場所であったに違いない。
では、どのようにしてポケット・ウオッチを扱ったのか。リボンで吊るしたのだ。このリボンが、「フォブ・リボン」であった。その後「フォブ・チェーン」があらわれるのだが、紳士たちは好みによってリボンも使い、チェーンも使ったのだ。
フォブ・リボンまたはフォブ・チェーンで懐中時計を下げてブリーチーズのポケットに収めた。懐中時計そのものは見えないが、リボンやチェーンでその存在が暗示される。フォブ・リボンやフォブ・チェーンが華美になったのも、当然であっただろう。

「ブラハムが時刻に合わせて、それぞれの刻を打つ。ニックナックやシールをひっくり返さんばかりの勢いで。」

1753年『サリスバリー・ジャーナル』誌の記事の一節である。「シール」 seal は「印章」こと。「ニックナック」 knick knack は「装飾品としての小物」のことである。その時代の懐中時計は「ミニッツ・リピーター」といって、決められた時刻ごとに音を鳴らして刻を告げたものである。
それはともかく、ここでのフォブ・リボンなりフォブ・チェーンにシールをはじめとする多くの装飾品が付いていたものと思われる。「グラハム」は、時計の銘柄であったのかも知れない。

「エリオットは懐中時計とウオッチ・チェーンとで、134ギニーもするものを持っていた。シールだけでも16ギニーは下らないだろう。」

1759年『ホーレイス・ウォールポールの手紙』の一節にそう出ている。事の順序としてはフォブ・リボンが先であったが、平行してフォブ・チェーンも用いられたのだ。なお、この時計にはエメラルドを鏤めたウオッチ・キーが添えられていたようである。
十八世紀の懐中時計に龍頭は一般的ではなく、多く専用のキーでゼンマイを巻いた。そのためのウオッチ・キーを失くさないように、フォブ・チェーンなどに付けておいたのである。

「私のそれぞれのポケットには懐中時計が入っている。もっともそのひとつは母の懐中時計であるのだが。」

1776年『ジェントルマンズ・アンド・ロンドン・マガジン』3月号の記事の一文。この「ポケット」がフォブであるのは疑いないだろう。そしてこの時代に二個の懐中時計を携えるのは、ごくふつうのことであったのだ。

「すべての洒落者は必ず二個の懐中時計を持つものである。」

『ミセス・フィリップ・ポウイの日記』 (1777年刊 ) には、そのように書かれている。「必ず」であったか否かはさておき、懐中時計をふたつ持つのが流行ではあったのだろう。

「懐中時計を二個持つことはもう稀なことになった。今ではむしろ女性の間での流行ではないだろうか。」

1788年『イプスウィッチ・ジャーナル』誌1月号の記事である。あるいは当時の懐中時計の精度と関係しているのかも知れない。とにかく懐中時計の二個持つ時代があったことは間違いない。
懐中時計がブリーチーズからウエイストコートへ移るのは、十九世紀に入ってからのことである。ウオッチ・チェーン・ホールがチョッキに添えられるのは、1870年以降のことであるという。

「メグレはポケットから時計を出した。九時四十五分だった。」

シムノン著『メグレと口の固い証人たち』 (1959 年 刊 ) に、そんな文章が出てくる。フォブは今も、決して古くはないのかも知れない。

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