ヴィキューナ(vicuna)

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天与の黄金糸

ヴィキューナは最高級繊維のことである。
ヴィキューナは動物の名前でもあり、そこから得られる毛、糸、布のことでもある。
一説に動物を指す場合に「ヴィクーニャ」であり、繊維を指す場合に「ヴィキューナ」であるともいう。

「最上等の羊毛。毛の質が特に柔かく、色は赤茶色を帶た鳶色である。」

三省堂編『婦人家庭百科辞典』 (昭和十二年刊 ) には、「ビキューナ」をそのように説明している。少なくとも戦前から日本でもヴィキューナは知られていたのであろう。
英語のヴィキューナはスペイン語の「ヴィキューナ」から来ている。そのスペイン語は、ペルーの現地人の使う「ヴィクーニャ」wicuna から出ているとのこと。
ヴィクーニャは高山動物である。南米、アンデス山脈の高地に限って棲む動物である。およそ四千mから五千mの間で、今現在のヴィクーニャはペルー政府の管轄下にある。
アンデス山脈の高地は急峻な山道で、気候条件も厳しい。空気は薄く、気温は低い。風は強い。そのような気候条件のもとで生きるために天がヴィクーニャに与えたのが、最高品質の毛皮なのである。

「ヴィキューナはナチュラル・シナモン・ブラウンから、ファーンまでの色調がある。ヴィキューナはジャケット、スーツ、ケープ、コート用として二十世紀以降用いられるようになったものである。」

ジョージアナ・オハラ編『ファッションの百科事典』には、そのように出ている。アメリカでのヴィキューナは二十世紀からのことなのであろう。余談ながら、「ファーン」fawn は「仔鹿色」のことを指している。私なら極上のヴィキューナに限っては「ゴールデン・カラー」と呼びたいところである。
二十世紀以降というのはさておき、ヴィクーニャもヴィキューナも長い間ヨーロッパ社会で知る人がいなかったのは事実である。ようやくヴィキューナが知られるようになるのは、十六世紀を越えてからのこと。それはスペインによるインカ帝国の発見と、征服とに密接に関係している。
インカ帝国は、「栄光の秘境」であって、ほとんど他国に知られることなく独特の文化を育んできた。やがてスペインに滅ぼされて、ヴィキューナの存在も明らかとなった。
インカ帝国においては国王とその関係者に限ってのみ、ヴィキューナの着用が許された。それほど貴重な繊維だったのだ。同じ重さの金と同価値であったと、伝えられている。
しかしヴィキューナの歴史はインカ帝国よりはるかに古いのだ。この地には紀元前7500年からアンデス文明があった。そのアンデス文明期にも、ヴィクーニャは存在していたであろう。
現在のペルーには、ヴィクーニャの他に、リャマ、アルパカ、グアナコが生育している。これらの四つの動物はいずれもラクダ科に属し、類似性を持っている。大きさの順に並べるなら、リャマ、アルパカ、グアナコ、ヴィクーニャということになる。

「グアナコより小型で細い。体長は一七五センチ、体高は七〇から九〇センチ、体重は三五から六〇キロである。」

稲村哲也著『リャマとアルパカ』には、そのように書かれている。ペルーではリャマもアルパカもグアナコも家畜化されている。が、ヴィクーニャだけは家畜化されていない。ヴィクーニャは家畜化できない動物なのだ。
ヴィクーニャは敏感で俊敏で、脚が速い。常に五、六頭で群れを作り警戒心が強い。人になつかない動物なのである。しかしその毛が貴重品であることは知られていたから、時には密猟もあっただろう。1960年にはヴィクーニャの数、一万頭を割り込んだと計算されている。今現在はペルー政府の管理ももとで、保護域が設けられている。
ところでイギリス人はいつ、ヴィキューナを知ったのか。おそらく1851年のことであっただろう。1851年は、「大英博覧会」が開かれた年。世界中の名産品が一堂に会したこと、言うまでもない。
この時、ペルーからの出品にヴィキューナ製のポンチョがあったのだ。これこそ英国人がはじめて見たヴィキューナであっただろうと思われる。

「アルパカやヴィキューナのポンチョから仕立て直したコートを着てのおしゃべりは……」

1853年『ハウスホールド・ワールド』紙9月14日付の記事の一節。これはあくまでも想像ではあるが、「ヴィキューナのポンチョ」は、大英博覧会のものではなかったか。もしそうだとするなら、英国でヴィキューナが使われるのは、1850年代以降のことかと思われる。

「シガー・ブラウンのヴィキューナで仕立てられたドレス……」

1885年『デイリー・ニューズ』紙9月22日付にも、そのように出ている。1880年代にはヴィキューナの生地が輸入されていたのではないだろうか。

「ジャケット用の材質として紹介された厚く、ダイアゴナル織のヴィキューナは……」

1887年『スタンダード』紙9月15日付の報道である。「ダイアゴナル織」は、右斜めに綾目が走る織り方のこと。これは間違いなく反物であっただろう。
天然繊維として、この上なく貴重なヴィキューナがこの世に存在することは知っておいて良い。

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