マフラー(muffler)

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温顎彩色

マフラーは主に首に巻く、やや厚手の、保温を兼ねた装飾品である。これがややうすでの素材になると、「スカーフ」呼ぶのがふさわしい。
時に、襟巻とか、首巻ということもある。
英語での「マフラー」は、1535年ころから使われていたようである。それは、フェアホルト著『コスチューム』の中に、すでに「マフラー」が用いられているからだ。『コスチューム』は、1535年ころの刊行であるとのこと。
たしかに十六世紀に「マフラー」はあったが、それは女性用であったらしい。たとえば身分ある婦人がその正体を明らかにしたくないような時にも、使われたという。そのためにマフラーで顔を包んだのである。その意味では、昔の日本のお高祖頭巾にも似ていたのであろう。

「muffler ( 包む・おおうなど ) の意味に由来する一種のショール、えり巻きの類。16、17世紀のチン・クローク、チン・クロート ( chin cloak、chin clout ) が始まりであり、長方形の布だ、頸や顎や、時には鼻までおおっていた。」

丹野 郁編『総合服飾事典』 には、そのように説明されている。「チン・クローク」とは、「顎の服」でもあろうか。同じように、「チン・クロース」とか、「チンナー」chinner の呼び方もあったようだ。
これらの名称はともかく、十六世紀にあっては首元よりむしろ顎を包むのが、主目的だったのだろう。いつもお世話になる『英国服飾辞典』で、「マフラー」を探すと、「チン・クロートを見よ」と出ている。古い時代の英国ではマフラーよりも、「チン・クロート」などのほうが優勢であったものと思われる。
古い時代といえば、古代ローマに「フォーカーレ」 focale のあったことが知られている。一般に今日のネクタイの元祖だとされる。が、長方形の布で、首に直接巻いたことを考えるなら、むしろマフラーの起源でもあるだろう。ただしフォーカーレは保温目的であるよりは、地位の象徴でもあったのだが。
古代ローマから十九世紀末のフランスに飛ぶことを、お許し頂きたい。十九世紀末のパリで、忘れてならないマフラーは、ロオトレックの絵に遺されている。それは1892年に描かれた『アンバサドゥールのアリスティード・ブリアン』である。
アリスティード・ブリアンは世紀末の、詩人であり、歌手でもあった人物。黒の、鍔広の帽子を被り、濃紺のマントを羽織り、その上から、ウールの、朱赤のマフラーを巻いている。
ロオトレックは1893年にも、『キャバレーのアリスティード・ブリアン』を描いている。場所と、構図さえ異なるものの、服装自体はまったく同じ。この二点は現在、アルビの、トゥールズ・ロオトレック美術館所蔵となっている。
アリスティード・ブリアンは当時有名だった「ミルリトン」の経営者でもあり、ここには英国皇太子 ( 後のエドワード七世 )も、お忍びで通ったという。アリスティード・ブリアンは1851年の生まれだから、その頃、四十歳くらいであったことになる。余談ではあるが、二十歳くらいのロオトレックに、モンマルトルの裏道を教えたのは、ブリアンだったと伝えられている。
それはともかく、ロオトレック描くところの、ブリアンのマフラーは印象的である。ただしフランスだから、「カショネ」 cache-nez と呼ぶべきであるのだが。これも直訳すれば、「鼻隠し」であろうか。
ごくふつうのフランス語辞典を開くと、「カシミール」 cachimr のすぐ下に、cache-nez が位置している。なるほど、カシミアとマフラーは隣同士であることが分かるのだ。

「大尉は手早く外套の頭巾 (ずきん ) を脱ぎ、巻いていた白い毛絲の頸巻を外し……」

国木田独歩著『馬上の友』 ( 明治三十六年 ) の一文である。「頭巾」にはルビが添えてあるが、「頸巻」にはルビない。「くびまき」だろうか。そしてまた、明治三十六年には「マフラー」はまだ一般的ではなかったものと思われるのだ。

「この淡い牡丹色の毛糸は、いまからもう二十年も前、私がまだ初等科にかよっていた頃、お母さまがこれで私の頸巻 ( くびまき ) を編んでくださった毛糸だった。」

太宰 治著『斜陽』 (昭和二十二年 ) に出てくる一文。ここでは「くびまき」のルビが添えてある。戦後でも「マフラー」はそれほど使われてはいなかったのだろうか。

「高級ブティックがひっそりと立ち並んだ通りの角からグレーのマフラーを巻いた中学生の純一がこちらに向かって歩いてくるような心地がした。」

太田治子著『マフラー』には、そんな描写がある。これは三月のパリが、背景の短編。主人公は、滝川めぐみで、めぐみがそのマフラーを編んだのだ。また、めぐみ自身も、手編みのショールを使っている。
マフラーについての物語は果てしなく続きそうである。

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