スタイル(style)

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名服素

スタイルは多く「流儀」訳される言葉である。そして数多いスタイルの中には「恰好」とか「流行」の意味も含まれる。
「スタイル」を『OED』 ( オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー ) で当たってみると、大きく分けて二十八ほどの意味が並んでいる。少なくとも「スタイル」が一面的ではないことが分かる。
スタイル style がラテン語の「スティルス」stilus から出ているのは、よく知られているところであろう。ここでの「スティルス」は、「鉄筆」のことであった。紙が一般的になる以前、粘土板を使ったという。柔らかい粘土板の上に、鉄筆で文字を書く。それはやがて乾き、固まり、記録、保存が可能となったのである。
そしてこの「鉄筆」から後に「文体」の意味が生まれるのだ。今なおスタイルには「文体」の意味がある。

「文体とは、その人そのものである。」

これはあまりにも有名な十八世紀フランスの博物学者、ジョルジュ・ビュッフォンの言葉である。これまたフランスの文人、ヴィクトル・ユゴーもこう言った。

「文体は水晶のようなものである。その純粋さが光となる。」

さらにスタンダールの名言はこうである。

「文体は透明なうわぐすりのようでなければならぬ。」

これらはほんの一例であって、スタイル ( 文体 ) についての言葉は数多くある。そしてこれらを熟読玩味すれば、服装のスタイルにも相通じるところがあるのが、面白い。

「よく考えられた服装のスタイルは、よく考えられた着こなしの男を意味する。優れた着こなしは、決定的に優位な立場に立てるものである。」

これは英国、十八世紀の、チェスターフィールド卿の『手紙』 (1751年 ) の一節である。チェスターフィールドの『手紙』は有名であるが、これは自分の息子に充てての本当の手紙であったのだ。息子を心から心配しての、心情溢れる内容になっている。
それはともかく、1750年頃の英国において、すでに「スタイル」の認識があったことが窺えるだろう。

「スタイル完成のかげには、必ず魂の情熱がひそんでいる。」

これはイギリス、十九世紀末のスタイリストであったオスカー・ワイルドの言葉である。オスカー・ワイルドは二重の意味で、スタイリストであった。凝りに凝った文体家であり、凝りに凝った洒落者であったからだ。
「私は襟に花を挿さないと、食欲が湧かぬ。」と、言ったほどの人物であった。「二重のスタイリスト」の意味がお分かりであろう。
このオスカー・ワイルドの言葉を読む限り、スタイルは単なる「形」ではないことが理解できる。強い精神が、強い信念が、その人のスタイルを創るのである。
十八世紀、十九世紀ときて、二十世紀のスタイル名言はなにかないものだろうか。

「ある画家はなにを描いても、その画家らしい特徴で描く。その画家しかもっていないスタイル。それを確立したは、偉大なる芸術家と呼ばれる。」

フランスの服飾デザイナー、エマニュエル・ウンガロの言葉である。ウンガロは「自分らしいスタイルを持つこと」をすすめる上にで、「画家のスタイル」を持ち出したのだ。これは解りやすい。画家にも「文体」があり、着手にも「文体」があるわけだ。いっそ、スタイルとは着こなしにおける「文体」である、というべきかも知れない。
「M」という字に一言あったのが、伊丹十三である。「M」は二本の縦の線と、それを繋ぐ「V」字によって構成される。この二本の縦の線のうち、向かって右の線が太くあるべきだと、主張した。それが、原則である、と。本来、伊丹十三はグラフィック・デザイナーでもあったから、当然のことでもあろう。
しかし伊丹十三は「M」についてのみ述べたわけではない。一事が万事、すべてについて伊丹十三スタイルを持っていた。

「あるいは足袋のこはぜの数はいくつでなければならないのか。餃子の皮を作る際の、強力粉と薄力粉の正しい割合はどうか。顕微鏡の正しい覗き方。……」

伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』の一節である。ここにはスタイルの言葉は出ていないが、伊丹十三自身がスタイルだったのだ。
「M」にせよ、足袋のこはぜにせよ、そこにひとつのスタイルのあることを確信することは、強い。まさにオスカー・ワイルドが言うように、「スタイルは魂の情熱から完成される」のであろう。

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