ギョーザとズワーヴ

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ギョーザなのか、餃子なのか。ちょっと迷ってしまいますよね。中国渡来の食べ物なのか。日本に定着した食べ物なのか。
ギョーザがお好きだったおひとりに、池田満寿夫が。池田満寿夫は機会があるごとに、ギョーザの作り方について語っています。たとえば、「大ギョーザ」とか。

「ギョーザは好きだが、あの皮をつくるのがめんどうさに、断念することが多い。

池田満寿夫著『男の手料理』にも、そんなふうに書いています。この気持、分かりますよね。で、池田満寿夫はどうしたのか。「大ギョーザ」を発明する。
ギョーザの皮はつくる。つくるんですが、一枚だけ。小麦粉を水で練って、皮を。その皮の中に、あらかじめ用意しておいた、ギョーザの具を詰める。詰めたなら、フライパンで焼く。このあたりの手順はふつうのギョーザと同じ。
ただ、違うのはその大きさ。直径、20㎝ほど。まあ、オムレツかオムライスの姿をしたギョーザですね。たしかに『男の手料理』というだけに、大胆そのもの。
池田満寿夫は「大ギョーザ」を二十一歳の時に発明したそうですから、昭和二十六年ころのことなんでしょう。
池田満寿夫はこの「大ギョーザ」を発明するより前。ゴッホの絵を発見していま。池田満寿夫が十八歳の時に。

「それは緑色を背景にして、星のある赤い帽子をかぶり軍服を着た男の肖像であった。」

池田満寿夫著『私のピカソ 私のゴッホ』には、そのように出ています。それはゴッホが1888年に描いた『ミリエ少尉の肖像』のこと。池田満寿夫はなぜかこの絵が忘れられなかったという。
それよりも二年前の、1886年。ゴッホが描いた絵に、『ズアーヴ兵』があります。ところが。この「ズアーヴ兵」こそ、「ミリエ少尉」なんですね。ゴッホは偶然のことからミリエに出会って。それ以来、モデルにしていたんですね。
ズアーヴ・ジャケットがロンドンで流行になったのは、1860年代のこと。もちろん、ズアーヴ兵のユニフォームをヒントにしたもの。はっきりと着丈の短いボレロ風の上着。
ズアーヴ・ジャケットのデザインを夢想しながら、美味しいギョーザを食べるとしましょうか。

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