ジェントルマン(gentleman)

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理想郷人

ジェントルマンは「紳士」と訳される言葉である。「紳士」についての説明は不要であろう。
「レイディース・アンド・ジェントルメン!」と、壇上で叫ばれる時の、あのジェントルマンである。ジェントルマンが単数、ジェントルメンが複数であることはいうまでもない。
「紳士」のことをフランスでは、「ジャンティオム」 gentil homme という。これは英国のジェントルマンをフランスに直輸入した結果であろう。ここからごく単純に想像するなら、「紳士」はもともと英国に限って生息していた動物かと思われる。

「ドイツ人はというと、これはてんで頭から問題にされない。ライン河以東、かつてジェントルマン又はこれに類する動物、棲息した痕跡なし、というのであるから頗る手厳しい。結局、イギリス人は"gentleman" という言葉の真の意味はいくら説明しても外国人には判らないという。伊豆の三宅島「くさや」の干物で食わないものには判らない。」

池田 潔著『英国の紳士道』には、そのように書かれている。池田 潔は1920年、十七歳で英国留学。パブリック・スクールを経てケンブリッジ大学に学んだ人物である。ケンブリッジ大学の後、ドイツ、ハイデルベルク大学にも学んでいる。帰国後は、慶應大学の教壇にも立って、日本人としては稀有な「紳士」であった。
その池田 潔が、「紳士とはくさや」論を持ち出すのだから、我ら凡人が「紳士」について語ろうとすること自体、烏滸がましいのであろう。
そもそも英国での「ジェントルマン」の概念がいつはじまっているのかも、定かではない。

「この騎士は武勇にすぐれ、はじめて馬に乗ってから騎士道はもちろん、忠義、名誉、自由、礼儀などをよく守り、騎士たるものの体面をけがすことは一度もなかった。」

チョーサー作『カンタベリー物語』の「序の歌」部分の一節である。『カンタベリー物語』は、1387年4月16日、「タバルト」という名の宿に泊まり合わせた人びとの物語からはじまる。少なくともチョーサーの時代に「騎士」の概念があったことは疑いない。そしてここでの騎士の有り様は、「紳士」の理想と酷似している。つまり英国では「紳士」の前に「騎士」の理想があったと考えて良いだろう。
チョーサーが述べているところの、「忠義、名誉、自由、礼儀…」とある部分は、「紳士」の定義にも当てはまるからである。

「わたしの今していることがほかのだれにもうまくできないことだとわかれば、少々気が安まるというものだ。」

これはG・K・チェスタトンの言葉。この言葉はフィリップ ・メイソン著『英国の紳士』、「序言」に引用されている。「今の私の気分にぴったりだ」と。
著者、フィリップ・メイソンは、パブリック・スクールからオックスフォード大学に進み、卒業後は英国政府の要職に就いている。まずは紳士の中の紳士と言って良い人物。そのフィリップ・メイソンが名著『英国の紳士』を書くに当たって、極度なほどの謙遜をしているのだ。もし同じフィリップ・メイソンが「英国の乗馬」を書くなら、もっと堂々としていたのではないか。
もはや古典であり、大著である『英国の紳士』を通読して解ったことがひとつある。それは「英国の紳士」は、不可解であるという結論に達したことだ。しかし英国紳士が不可解であることと、英国紳士の存在とはまた別問題である。

「イギリスでは個人のひとりひとりがその着物の着方と、物腰と、アクセントによって、どんな地位の者であるかがわかる。」

これはジョージ・オーウエルの言葉である。そのジョージ・オーウエル自身は、紳士階級ではなかった。自らを、「ロウワー・アッパー・ミドル・クラス」と、規定しているからである。ジョージ・オーウエルの言葉を敷衍するなら、「紳士」は、服の着こなしと、物腰と、アクセントによって決定されるのである。つまり英国紳士は曰く言い難いが、まったく存在しないわけではない、ということになる。
英国紳士はパブリック・スクールで創られるとは、世の定説である。ということは英国にパブリック・スクールが健在である限り、英国紳士もまた永遠である、ということになる。
その昔、ラグビー校の校長であった、マシュウ・アーノルドはこう言ったものである。

「われわれが求めるものは、第一に、教育、道徳の規範である。第二に、ジェントルマンとしての行動。そして第三に、知性である。」

しかし知性も道徳も目には見えない。目に見えるのは「行動」だけである。この目には見えない部分が多い「紳士」であるから、凡人には理解し難いのであろう。

「この世におけるジェントルマンの仕事中有効性の最大部分は、彼が他人にかたり、また書くものの影響力によるからである。」

ジョン・ロック著『ロック政治論集』 (1669年 ) には、そのように書かれている。少なくとも1660年代には「ジェントルマン」の考え方があったことが窺えるものだ。ジェントルマンはジェントルマンが何であるか、今後も大いに語り、大いに書いて頂きたいものである。ジェントルマンの訳語が「紳士」であるのはすでにふれた通りである。

「日本の紳士が教育、徳育、美育の点に於いて非常に欠乏して居るといふ事が氣にかかる。」

夏目漱石著『倫敦消息』に出てくる一文である。もちろんこれは百年以上も前の話ではあるのだが。ただ夏目漱石もまた「紳士」について考えていたことが分かる文章である。

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