バラクラヴァ(balaklava)

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覆面某氏

バラクラヴァは頭からすっぽりと被る式の、ウール・ニットの帽子である。その意味では広くキャップの一種ともされる。
バラクラヴァ Balaklava はクリミア半島、黒海に面した港町。ここからはじまって英語化され、時に「balaclava」と綴ることもある。
本来のバラクラヴァと、いわゆる「目出し帽」とは、微妙に異なる。「目出し帽」とバラクラヴァを較べた場合、顔の露出面がバラクラヴァのほうが多いのだ。
バラクラヴァそもそもの目的は、頭、耳、首、肩の保温であった。少なくとも顔を隠す発想はまったくなかったのだ。もっとも「目出し帽」がバラクラヴァから生まれていることも、間違いではないのだが。
バラクラヴァはある日突然に誕生したわけでもない。バラクラヴァの古い元祖は昔からあった。それは広い意味での「フード」 hood であろう。正しくは「フッド」、それが日本語になって、「フード」になったわけである。
広い意味でのフードは、古代ローマにもあった。「ククルス」 cucullus がそれである。もちろん頭から被る帽子に似た衣裳だったのだ。
ククルスの子孫は中世にも引き継がれる。フードはますます多様化し、装飾化される。端的な例をひとつだけ挙げるなら、「リリパイプ」 lilipipe であろうか。リリパイプはフード先端の、意図的に細長く垂らした装飾部分のことである。ちょうど若い女性の「おさげ」のように、リリパイプを背中に垂らしておくのが流行ったのだ。リリパイプが流行ったのは、フードが流行ったからである。
ロビン・フッドは英国、十二世紀のよく知られた伝説である。ロビン・フッドは実在したとも、実在しなかったとも、まだ結論は出ていない。ただし、ロビン・フッドのモデルが居たことは、間違いない。
ロビン・フッドのロビンは、「ロバート」の名前から来ているらしい。「フッド」はフードだから、彼がフードの愛用者であったと考えて良い。

「緑の上着のフードは肩にたれ、頭にはぴったりのふちなし帽。このビロードの帽子にはとても小粋に、シギの翼の大きな羽根が斜めに突っ立っている。」

ローズマリ・サトクリフ著山本史郎訳『ロビン・フッド物語』 ( 1950年 ) には、そのように書かれている。著者のローズマリ・サトクリフは歴史家でもあって、史実に照らしての「物語」になっている。少なくとも十二世紀の英国でフードが一般的であったことは、疑えない。
このように眺めてくると、十九世紀中葉のバラクラヴァは、中世のフードの復刻であったとも言えるだろう。
バラクラヴァは1854年10月25日の生まれだと考えられている。10月25日は新暦で、旧暦では、10月13日のことであるのだが。
場所は言うまでもなく、クリミア、セヴァストポリに近い、バラクラヴァ。バラクラヴァは物資補給の要所でもあった場所。
このバラクラヴァ突撃の際、イギリス兵が保温のために被ったウール・ニットのフードが今のバラクラヴァなのである。
これはクリミア戦争中のことで、ラグラン将軍は「大砲を取り戻せ」と命令する。が、これが人から人へ伝言されるうちに、「砲台を取り戻せ」と誤解される。この誤解から、バラクラヴァの突撃がなされたのである。
この誤解を後で新聞で知ったアルフレッド・テンソンは、すぐさま詩を書いた。それが『軽騎兵隊進撃の詩』なのだ。テンソンのこの詩は、1854年『エグザミナー』紙12月9日号に掲載されたのである。
「バラクラヴァ」が一般用語として使われるようになるのは、1880年代のことと思われる。

「ウール・ニットのバラクラヴァは、熟睡に最適のものである。」

C・T・デント著『登山術』 ( 1892 ) には、そのように記されている。たしかに冬山のテントで寝るには、バラクラヴァは役立ってくれたことであろう。
バラクラヴァを使うのかどうかはさておき、バラクラヴァにはバラクラヴァの物語があることを知っておくのも、無駄ではあるまい。

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