光琳とフラノ

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あけましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。

光琳といえばもちろん、尾形光琳ですよね。
尾形光琳は、江戸、元禄期の絵師。光琳作『燕子花図』は、国宝になっています。
光琳は、京都、「雁金屋」の次男として生まれています。「雁金屋」はその頃、名の知れた呉服屋。光琳の着物を視る眼がたしかだったのも、当然でしょうね。
光琳と仲良しだったのが、内蔵助。中村内蔵助は、当時、「銀座」の主だったお方。「銀座」は今の造幣局に近いかも知れません。
これはあまりにも有名な話ですが。その頃。京都、嵐山で。「衣裳くらべ」があった。
中村内蔵助の妻だけは。何度着替えても。白無垢の長着に、黒羽二重の小袖で。さすがのおしゃれ自慢もカブトを脱いだと、伝えられています。
白無垢の長着に黒羽二重の小袖。これは実は、光琳の知恵だったんですね。
光琳は珍しく一点だけ、肖像画を描いています。元禄十七年の作。描かれている人物は、中村内蔵助。光琳に肖像画のあることは、長い間、知られていませんでした。
この絵を偶然、発見したのが、青柳瑞穂。昭和十二年のこととか。豊橋の古道具屋で。七円五十銭で買ったんだそうです。誰もそれを光琳作とは思っていなかった。でも、青柳瑞穂はすぐに「本物」だと感じたという。昭和十二年の七円五十銭は今の、五万円くらいでしょうか。
青柳瑞穂が翻訳した短篇に、『ポールの恋人』が。もちろん、モオパッサンの作。この中に。

「白いフランネルの背広の男装で、舟のなかへ仰向けに寝そべりながら……」

これは夢の中で、ボート遊びをしている場面なんですね。
さて。白いフラノのスーツで。光琳の絵を観に行きたいものですが。

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