チャーチルと絹靴下

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チャーチルといえば、ウインストン・チャーチルでしょうね。ウインストン・チャーチルの家系が、マルボロー公爵であるのは言うまでもないでしょう。
1704年。ブレナムで、フランス軍に勝って。アン王女からマルボロー公爵を与えられて以来の、貴族。
ウインストン・チャーチルのお母さんは、ジェニー・ジェローム。れっきとしたアメリカ人なんですね。お父さんの、ランドルフ・チャーチルは、どうしてジェニーと結婚することになったのか。余談ですが。ジェニーは人も驚くほどの、美人だったという。後になって、ウインストンはこんなふうに書いています。

「母はいつもおとぎの国の王女さまだった。」

ジェニーと、ランドルフがはじめて会うのは、1873年8月のこと。イングランドの南、ワイト島の、カウズで。この時、レガッタ競技があって、それを観にきていた。この観客の中には、英国皇太子も。もちろん、後のエドワード七世。
ランドルフ・チャーチルはジェニーに会ったとたん、一目惚れ。ジェニーは、十九歳、ランドルフは、二十三歳のとき。ランドルフは、その三日後、プロポーズ。
結婚したのは、1874年4月15日。パリの英国大使館で。そして、ウインストンが生まれたのが、同じ年の11月30日。英国の、ブレナム・パレスで。つまりウインストンは人よりも早く生まれてきた。
1874年11月30日。たまたまその日、ブレナム・パレスではパーティがあって。ジェニーはダンスの途中に、急に。で、ウインストンはクローク・ルームで産声を。なるほど。チャーチルはクローク・ルームで生まれたので、着るものに興味があったんでしょうね。
お父さん、ランドルフ・チャーチルが生まれたのが、1849年2月13日。同じ2月13日でも。1903年に生まれたのが、ジョルジュ・シムノン。ジョルジュ・シムノンが、1931年に発表したのが、『黄色い犬』。この中に。

「小高くなった地面に、五十ばかりの露店が出て、バタのかたまり、卵、野菜、ズボンつり、絹靴下などが並べられている。」

これはフランス、コンカルノーの町の様子を、メグレが眺めている場面。1930年ころのフランスでは。露店に絹靴下が置いてあったんでしょうね。
さて。絹靴下を履いて。チャーチルの伝記を探しに行くとしましょうか。

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