テネシーとピー・ジャケット

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テネシーで、戯曲家で、ということになりますと。テネシー・ウイリアムズでしょうね。
テネシー・ウイリアムズの本名は、トーマス・ラニア・ウイリアムズなんだそうです。たまたま友だちのつけてくれた「テネシー」を、ペンネームにしたんだとか。
テネシー・ウイリアムズは1911年、3月25日、ミシシッピー州、コロンバのお生まれ。1938年に大学卒業。それからアメリカ各地を転々として。もっとも気に入ったのが、ニューオリンズのフレンチ・クォーター。ここのロイアル・ストリートに長く住むことに。
その頃、ニューオリンズには、「墓場行き」の路面電車が走っていた。テネシー・ウイリアムズはその電車の名前を面白いと思った。そして、もうひとつの電車が、「欲望行き」。
テネシー・ウイリアムズの代表作、『欲望という名の電車』はこれに想を得ているわけですね。もっとも最初の題は「月光の中のブランチの椅子」。それが「ポーカーの夜」を経て『欲望という名の電車』になったんだそうです。
演劇としての『欲望という名の電車』は、1947年12月3日。ブロードウェイの「バリモア劇場」で。原作には、スタンリー・コワルスキーの服装について。
「ブルー・デニムの作業服をぞんざいに着ている。」
と、書かれています。
この演劇が好評だったので、映画化されることになったのは、よく知られているところでしょう。映画化は、1951年のこと。スタンリー役は舞台も映画も、マーロン・ブランド。
1951年に発表された小説に、『いかさまトランプ師の冒険』が。フランスの、ジャン・ジオノの物語。この中に。

「だが彼はもっといいものを欲しがっている、イギリス海軍のコートというのがあって、それがとてつもなくいいものらしい。でも何千フランもするという。」

「イギリス海軍のコート」。もしかすれば、ピー・ジャケットかも知れませんね。1950年ころのフランスで。イギリス海軍のピー・ジャケットは憧れの的だったのかも。
さて。ピー・ジャケットを着て。テネシー・ウイリアムズの本を探しに行くとしましょうか。

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