お菓子と帽子

ウインザー公は、紳士服飾の20世紀のスタイルやトレンドに大きな影響と功績を残した。それは21世紀の現代でも、燦然と輝き続けている。そんなウインザー公へのオマージュも込めて、選びぬいた情報や製品をセレクトしてお伝えします。

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お菓子にめのない人、いますよね。第一、見た目にも可愛らしい。つい、手が出てしまう。
可愛いくて、美しいお菓子といえば、マジパンでしょうか。色にも形にも、惹かれてしまいます。
1844年、3月のはじめ。パリに、マジパンの専門店が店を開いています。ヴィヴィエンヌ通り83番地に。この店の前に貼り紙がしてあって。
「この度、小生、菓子店を開店仕り候……」
とはじまって、延々とバルザックの著書を引用している。『ラ・ラヴィユーズ』の。
この貼り紙を読んだ誰もが、オノレ・ド・バルザックの菓子店だと信じた。それで、大流行りに。でも、実際にはバルザックはほとんど関係なかったらしい。このマジパン専門店の知恵の勝利だったのかも知れませんね。ただ、バルザックがマジパンをはじめお菓子に興味があったのは、間違いないでしょう。
パリのお菓子屋の話が出てくる小説に、『失われた時を求めて』があります。もちろん、マルセル・プルースト作。この中に。

「プチ・フールが必要だと「ルバッテ、ルバッテ」と言うようなものだ。」

「ルバッテ」は、フォーブル・サントノーレ12番地にあった、有名な菓子店。時代背景は、1900年頃のこと。たぶん、プルーストもここのプチ・フールがお好きだったんでしょうね。またこんな話も出てきます。

「クロベールのようにいつも帽子を控えの間に置いてくるのはまだましというものです……」

これはヴィルパリジ侯爵夫人の科白。
その頃のパリでの上流階級では。サロンでの紳士は、帽子を自分の脇に置くのが良いとされた。ただし、そこでダンスをする時に限って、帽子を控えの間に置いてんだそうですね。
さて。なにかお気に入りの帽子を被って。美味しいお菓子を探しに行くとしましょうか。

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