エッフェルとブレイザー

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エッフェルで、パリでといえば。エッフェル搭でしょうね。
フランス人、ギュスターヴ・エッフェルが作ったので、トゥール・エッフェル。トゥール・エッフェルの完成は、1889年3月30日。これはパリ万博に合わせるために。
エッフェル搭が誕生した時、ギュスターヴ・エッフェルは五十六歳。でも祝賀会のために、上の階まで歩いて登った。この時はまだエレベーターが動いていなかったから。
ついに搭の三階部分にたどり着いて。大きなフランス国旗を掲げたという。時に、3月30日、午後2時30分のことと記録されています。
ギュスターヴ・エッフェルは美食家でもあって。1889年のエッフェル搭に入ってもらうレストランはギュスターヴ自身が決めた。当時は四つのレストランがあって。ひとつは、「フレンチ・レストラン」。ひとつは、「英国レストラン」。ひとつは、「ロシア・レストラン」。残る最後が、「アルザス・レストラン」。
でも、どうして「英国レストラン」なのか。その頃、フランスへのイギリス観光客がふえていたから。「ロシア・レストラン」は、ギュスターヴが大のキャヴィア好きだったから。ギュスターヴはブルゴーニュ、ディジョンのお生まれ。郷土料理も食べたかったのでしょうね。
では、これらのレストランはどうだったのか。大好評。四つのレストランが一年間に使った卵の数、25万個に達したという。
1889年からはじまるミステリに、『絞首台までご一緒に』が。イギリスのピーター・ラヴゼイが、1976年に発表した物語。この中に。

「赤い縁取りのついたクリーム色のブレザーに、似合いのフランネルのズボンをはき、ベルト代わりにスカーフをしばっている。」

これは、バキンガムシャー署の警官、ロジャー・ハーディーの着こなし。
今度、エッフェル搭に行く時は。クリーム色のブレイザーでしょうかね。

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