鈴蘭とモッサン

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鈴蘭は可憐な花ですよね。白くて、小さくて、釣鐘のような形をしていて。
鈴蘭は、君影草とも。谷間の姫百合とも。イギリスの詩人は鈴蘭を。

谷間に咲ける姫百合は
天つみ御神に似たるかな
若き姿の美しき
面羞げにも見ゆるなり
花の唇に珠のごと
緑の衣の色も濃し

シェリーの『谷間の姫百合』の一節ですね。
パリで、四月で、カフェで。フランスの女の人に鈴蘭を贈った日本人がいます。

「鈴らんの花を売りにきた老婆があったので、一本買ってマギイ嬢の胸にさした。春の装いが段々と感ぜられる。」

遠藤周作著『作家の日記』にはそんなふうに出ています。1951年4月21日 ( 土 ) のところに。余談ですが。その頃、パリでの鈴蘭は、一本20フランだったとか。「マギイ嬢」はその頃、ソルボンヌ大学の学生だったそうです。

「もしボクがフランス人なら、貴方にプロポーズしただろう……」とも書いています。

遠藤周作は、1953年12月12日。マルセイユの港から「赤城丸」で帰国の旅に。遠藤周作は、胸に病を得て、フランスでの生活が続けられなくなったから。この時、パリからマルセイユまでつきあってくれたのが、フランソワーズ・パストル。その時代は、マルセイユまで、三泊四日の旅だったそうですが。
遠藤周作著『作家の日記』には、こんな話をも。

「瀧澤敬一老を訪問する。よくしゃべる元気な老人である。」と。

1950年10月14日 ( 土 ) のところに。遠藤周作は留学生として、リヨンに。瀧澤敬一は永住者として、リヨンに。1950年にふたりが出会っているのも、当然なんでしょう。瀧澤敬一著『第八 フランス通信』に。

「手軽なベレー帽の二三百円からMOSSANT の商標の二千円。」

と、書いています。「モッサン」はその頃パリで一流とされた帽子店。
さて、モッサンであるかのような帽子を被って。鈴蘭を買いに行きましようか。

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