珈琲とシャツ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

珈琲は美味しいものですよね。
珈琲をはじめて飲んだ日本人は、誰か。これにもいろんな説があるようですね。
たとえば何かの都合で異国に行って、そこで珈琲に出会う。そんなことも、あったでしょう。
ただ日本人が「日本」で、ということになると、わりあい絞られてくるのかも知れませんが。
ひとつの候補者として、大田南畝。大田南畝は別に、蜀山人の名前もあって、江戸の戯作者。
大田南畝は1804年に。長崎で珈琲を飲んでいます。

「紅毛船にてカウヒイといふものを勧む。豆を煎りて粉にし、白糖を和したるものなり。焦げくさくて味ふるに堪ず。」

1804年の『けいほゆうてつ』 ( 漢字が見つかりません ) という本の中に、そんなふうに書いています。
1804年、大田南畝は長崎奉行所の役人になるんですね。そんなことから「紅毛船」の視察に行ったのでしょう。蜀山人は本来、幕府の人ですから、あんまり「紅毛船」のことを褒めるわけにもいかなかったのかも知れませんが。
コーヒーの需要がアメリカで、急にふえるのが、1920年のこと。もちろん、禁酒法との関係なんですね。酒がダメなコーヒーがあるさ、となったのでしょう。
1920年に発表されたのが、『一粒の麦もし死なずば』。フランスの作家、ジッドの物語。これは限定十二部の出版だったとか。
『一粒の麦もし死なずば』は、ほとんど自伝。自分を正直に書いた本としては世界の「三大告白本」なんだとか。
ルソーの『告白』。ストリンドベルリの『女中の子』。そして、ジッドの『一粒の麦もし死なずば』。ジッドのこの本の中に。

「僕がシャツの胸のところに糊のついていないのを着せてもらえたのは、ほとんどもう大人になってからだ。」

これは昔のハード・シャツと、今のソフト・シャツとの違いにふれてのことなんですね。つまりアンドレ・ジッドはソフト・シャツがお好きだったのでしょう。
さて、お気に入りのシャツを着て。美味しい珈琲を飲みに行くとしましょう。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone