プッチーニとフェドーラ

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プッチーニといえば、ジャコモ・プッチーニですよね。
プッチーニはもちろん、イタリア人。1858年12月22日。トスカーナのルッカに生まれています。
プッチーニ家は何代も前から、教会のオルガン奏者だったという。親戚縁者にも音楽家が少なくなかった。ジャコモは十四歳で、オルガンを弾き、ピアノを弾いた。ミラノに出たのは、1876年の時。ここから作曲家として本格的な勉強を。
プッチーニが人生の最後に仕上げたのが、『トゥランドット』。プッチーニが『トゥランドット』の想を得るのは、1920年の、夏のこと。
『トゥランドット』は、ヴェネツィアの貴族、カルロ・ゴッツィの原料。プッチーニは原作『トゥランドット』を読んで、ルッカへ。ルッカ近くの、バーニ・ディ・ルッカへ。ここにファッシーニ男爵が住んでいたからです。ファッシーニ男爵は数多くの中国美術の蒐集家でありました。プッチーニはその中の中国製オルゴールから、旋律を聴きとることもあったそうです。
『トゥランドット』の作曲は進んだ。結局、『トゥランドット』はプッチーニの遺作となったのです。1924年11月29日。昇天。この後を引き継いだのが、フランコ・アルファーノ。
『トゥランドット』の初演は1926年4月25日。ミラノ、スカラ座で。指揮は、親交のあった、トスカニーニ。
「氷のような姫君の心も」を歌い終えたところで。トスカニーニは、静かに指揮棒を置いた。そして、こう言ったのです。
「マエストロ・ジャコモ・プッチーニは、ここで、作曲を終えたのです。」
1926年。NYに生まれたのが、エド・マクベイン。イタリア系アメリカ人として。エド・マクベインが1997年に発表したのが、『ノクターン』。この中に。

「ジョージとトニーは、ベルト付きコートにウールのマフラー。フェドーラをすっぽりかぶり………」

フェドーラ。いいもんですね。なにかお気に入りの帽子で。プッチーニを聴きに行きたいものですかね。

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