マンとトゥイード

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マンという名前はときどきありますよね。
トーマス・マンだとか。まあ、正確には姓ですが。
名前で「マン」なら、マン・レイ。もっともペンネームなんですが。本名は、エマニエル・ラドニッキー。やっぱり、マン・レイのほうが分かりやすいですね。「光の男」と理解することもできますし。
マン・レイがはじめてパリに行ったのは、1921年のこと。ル・アーヴルの港に着いてのが、7月14日。革命記念日ですから、憶えやすいでしょう。
マン・レイはどうしてパリに行ったのか。友だちがいたから。マルセル・デュシャンが。デュシャンはル・アーヴルの港まで、出迎えに来てくれて。パリ郊外のパッシーに宿まで予約をしてくれていた。
マン・レイが宿に着いてみると、「オテル・ムーブレ」 hotel meuble と書いてある。マン・レイはそうか「オテル・ムーブレ」かと思った。
次の日。知人に、「どこにお泊まりですから?」もちろんマン・レイは、
「オテル・ムーブレです。」
それを聞いた知人は、笑い出した。「オテル・ムーブレ」は、「家具付きホテル」の意味だったから。マン・レイ著の『セルフポートレイト』に出ている話なんですが。
この前の年に。マン・レイはNYにいて、友人たちとグループを作っています。グループの名前が、「ソシエテ・アノニム」。直訳すれば、「無名会社」でしょうか。1920年のことです。
1920年、NYに生まれたのが、リチャード・ニーリイ。リチャード・ニーリイの第一作が、『愛する者に死を』。1969年の発表。この中に。

「エレガンスに着こなした幅広のツイード・スーツのヴェストから下がっている装飾を凝らした時計の金鎖を片手でいじっていた。」

これはサンフランシスコ警察の、エイブラハム・フレンドリーの着こなし。スリーピース・スーツなんですね。
いいなあ。なにかトゥイードの服で。マン・レイの写真集を探しに行きましょうか。

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