茅ヶ崎と仮縫い

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茅ヶ崎という場所がありますよね。
相模湾沿いの、美しい、静かな町です。ここに一軒の宿があって、茅ヶ崎館。
茅ヶ崎館こそ、小津安二郎が贔屓にした宿なんだそうです。『東京物語』をはじめとする小津映画のほとんどは、茅ヶ崎館で生まれているという。
『東京物語』を例にとっても、監督 小津安二郎。脚本 野田高梧。そんな印象があります。でも、実際には、小津と野田との合作といった感じだったらしい。
茅ヶ崎館に籠って、小津安二郎と野田高梧。ふたりで一升瓶百本開けたら、脚本ができていた。そんな伝説があるほどに。
実は小津、野田、侃々諤々のやりとりの中で脚本が自然発酵したというのが、ほんとうなのでしょう。
小津は科白に厳格だった。たとえば原 節子が、笠 智衆に語る。それを受けて笠が、言葉を返す。この会話の「間」が常にきっかり、三分の二秒だったそうです。ひとつの科白が終わって、次の科白がはじまるまでの「間」が、三分の二秒。これが少しでも違うと、小津はダメを出した。結局のところ、小津安二郎映画における名工だったのでしょう。
『東京物語』は昭和二十八年の映画。その年の、『小津安二郎日記』を読んでいると。

「毎日主催の洋服組合のコンクール出品の服の仮縫をする」

と、あります。三月一日 ( 日 ) の日記に。当時、小津安二郎は「マシロ屋」というテイラーで仕立てていたらしい。「マシロ屋」が小津の服を、コンクールに出したんでしょう。
小津の科白の「間」ほどではありませんが。服の仮縫いも難しいんでしょうね。

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