ジャンとウシャンカ

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ジャンで、映画俳優で、ということなら、ジャン・ギャバンでしょうね。
ジャン・ギャバンのお父さんは、ジョセフ。お母さんは、エレーヌ。ジョセフもエレーヌも、シャンソン歌手として舞台に立った経験をもっています。ふたりが知り合ったのも、パリのキャバレーの舞台裏だったのです。
ジャン・ギャバンがキャバレーの舞台に立つようになったのも、ジョセフの薦めだったそうです。その頃のジャンのあだ名、「ガス燈」。その心は、「ただ立ってるだけ」。それが後に大きな役者になるのですから、分からないものですね。
1920年代。ジャン・ギャバンは暇で。ふらりと「ムーラン・ルージュ」の舞台裏に。ここで偶然に出会うのが、ミスタンゲット。その頃の大女優であります。ミスタンゲットはジャンをひと目見て、「これは、使える」と思ったらしい。で、「私のレヴューに出てみない?」。ここからジャン・ギャバンの運命が開けたと、伝えられています。
ミスタンゲット以降も、ミッシェル・モルガンや、シモーヌ・シモンなどの名女優と多く共演もしています。ジャン・ギャバンがミレーユ・バランと共演したのが、『望郷』。1936年の名画。
1936年に英国に生まれたのが、ピーター・ラヴゼイ。ピーター・ラヴゼイが2000年に発表したのが、『死神の戯れ』。この中に。

「コートとロシア製の毛皮の帽子を……」

と、出てきます。これは、オーウェン・カンバーバッチの持物。そしてこの「ロシア製の毛皮の帽子」についての説明もちゃんとあります。

「女王陛下の諜報員をやっていた時代の最後の記念品」

なんだそうです。たぶん、「ウシャンカ」のことだと思われます。ロシア人の愛用する毛皮帽には、「ウシャンカ」と呼ばれるものが多くありますから。

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