フィガロとボウ・タイ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

フィガロで音楽でといえば、『フィガロの結婚』でしょうね。『フィガロの結婚』はもちろん、モオツアルトの歌劇。
『フィガロの結婚』が作られたのは、1786年4月29日だと伝えられています。ヴォルフガング・アマデウス・モオツアルトは、1756年1月27日に生まれていますから、ちょうど三十歳の時の作曲ということになります。
この三十歳という年齢と関係があるのかないのか、モオツアルトの中での最高傑作が『フィガロの結婚』との説もあります。『フィガロの結婚』はもともとは戯曲だったそうですね。話の中身はたいへんに面白い。でも、ちょっと貴族を揶揄った場面もあったりして。上演が難しい芝居でもあったそうですが。
ここに登場するのが、ポンテ。イタリアの作家、ロレンツォ・ダ・ポンテ。ポンテがモオツアルトに薦めたのか、モオツアルトがポンテに頼んだのか。今となってはなんとも定め難いのですが。とにかく演劇の『フィガロの結婚』を歌劇に。その台本を書いたのが、ロレンツォ・ダ・ポンテ。ポンテの台本を基に作曲したのが、モオツアルトだったのです。
『フィガロの結婚』の初演は、1786年の五月。ウイーンで。その後なぜか、しばらくの間、忘れられていて。1789年にプラハで、再演。この時、拍手喝采の大成功。この時以来、『フィガロの結婚』の名声は高まったんだそうです。
『フィガロの結婚』から名前を頂いたのが、『フィガロ』。フランスを代表する新聞。創刊は、1826年で、フランスの新聞としてはいちばん古い歴史を持っています。また影響力の大きい新聞でもあるのです。
1924年になってこの『フィガロ』に興味を持ったのが、コティ。香水で成功した、フランソワ・コティ。コティは1924年に、『フィガロ』に巨額の投資をしています。1924年から『フィガロ』紙に良い香りが立ちのぼるようになった、かどうかは知りませんが。
1924年9月30日に生まれたのが、トルーマン・カポーティ。トルーマン・カポーティが1951年に発表したのが、『草の竪琴』。カポーティ自身が十六歳の時に体験したことが、物語の基になっています。『草の竪琴』の中に。

「彼はボウ・タイに手をやり、形を整えるつもりか、ぐいっと動かした。」

「彼」とは、ドクター・モリス・リッツという人物なのですが。時には、ボウ・タイを結んでみたいものですね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone