シャリアピンとパナマ

Кустодиев_-_Портрет_Шаляпина_(1922)
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シャリアピンといえば、シャリアピン・ステーキでしょうか。ロシアのオペラ歌手、フィヨドール・シャリアピンのために考えたものなんだとか。1936年に、帝国ホテルで。
シャリアピンと仲良しだったのが、ラフマニノフ。もちろん、作曲家のセルゲイ・ラフマニノフ。1890年代に、シャリアピンと出会って、生涯の親友になっています。シャリアピンが結婚する時には、ラフマニノフは介添人になってもいます。
1898年。ラフマニノフとシャリアピンはふたりで、ヤルタに旅をしています。このヤルタでは、作家のチェホフに会っているんだそうですね。
ラフマニノフの代表作に、『ピアノ協奏曲第二番』があります。この曲は、ニコライ・ダールに捧げられている。1900年頃、ラフマニノフはちょっとしたノイローゼに。このノイローゼを治してくれたのが、精神科医のニコライ・ダール。ダール博士は、睡眠療法により、ラフマニノフを健全に導いたという。それで、『ピアノ協奏曲第二番』を完成することができたんだとか。
ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第四番』がアメリカで演奏されたのが、1927年3月18日のこと。ボストンの「シンフォニー・ホール」で。
1927年に発表された小説に、『燈台へ』が。ヴァージニア・ウルフが発表した長篇ですよね。この中に。

「たった二三歩さきにその絵描きの一人がパナマ帽と黄色い靴に身をかためて……」

「黄色い靴」って、どんなスタイルなんでしょうね。黄色い靴はともかくとして、パナマを被って、帝国ホテルのシャリアピン・ステーキを食べに行きたいものですね。

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