サトウとセピア

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サトウという人が昔いたんだそうですね。佐藤かと思いきや、Satow。れっきとした英国人。
アーネスト・サトウ。幕末の日本史を語る時には必ず登場する人物でもあります。
アーネスト・サトウは日本に来てからたちまち日本語を覚えて。読み書きも。また、サトウが書いた「書」も遺っています。日本文化を愛した人でもありました。
幕末、アーネスト・サトウに仕えたのが、与三郎。その時代には、異人のもとで働く者、すくなかった。そのために、破格の給与だったという。
与三郎はサトウの所で働くうちに、気がついた。日本に住む異人が、生活用品を買う場の少ないことに。で、独立。サトウは、「まだ、はやい」と止めたそうですが。
与三郎が築地に開いた店が、「伊勢屋」。与三郎は甲州の出なんですが、なぜか「伊勢屋」。「伊勢屋」は最初、異人に、洋品を売る店だった。これで、大成功。横浜で洋品を仕入れて、船で築地に運んだ。その頃、築地には異人居留地があったから。
伊勢屋の与三郎だから、人呼んで「伊勢与」。明治のはじめの「伊勢与」は知らぬ者がいなかったという。この伊勢与に可愛いがられたのが、内田魯庵。『銀座繁盛記』には、伊勢与のことが詳しく語られています。
伊勢屋は今も銀座にある子供服の「サエグサ」の前身なのですね。三枝与三郎が、本名。それで、「サエグサ」になったのでしょう。銀座では古くからの、唐物屋であります。
内田魯庵と親交のあったのが、夏目漱石。内田魯庵は「丸善」に勤めていたことがあって。オノトの万年筆を漱石に薦めたのは、内田魯庵だと考えられています。夏目漱石は明治の文人としては、はやくから万年筆で原稿を書いたひとり。それ以前には、まず例外なく、筆で書いたものです。
内田魯庵著『温情の裕かな夏目さん』の中に。インクの話が出てきます。夏目漱石はいつも、「セピア色」のインクが好きだったそうですね。
そういえば、セピア色というのもありますよね。セピア色に、自分で、染めてみましょうか。

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