ロッパとアルパカ

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ロッパと呼ばれた芸人がいましたよね。古川ロッパ。人呼んで、ロッパ。古川緑波は、芸名。本名、古川郁郎。
貴族議員、加藤照麿の息子。それがどういうわけか、早稲田大学から芸の世界に。ことに得意だったのが、声帯模写。
昭和六年八月のこと。当時のラジオ局、JOAK で、新しい番組が。名づけて、「談釈西遊記」。その初日が、徳川夢声。三日目が、古川ロッパ。
八月八日の初日の朝、夢声からロッパに電話。「きょうは、むり………」何ごとかと思って、ロッパは夢声の家に。夢声は不眠症で、前の晩、薬を嚥みすぎて、起きられない。さあ、困った。
当時のラジオ局長が、久保田万太郎。万太郎はロッパに命令。
「夢声の声帯模写を、やれ」。ロッパは夢声の声帯模写を、生放送。誰ひとりロッパとは気づかなかった。
「今日の夢声も良かったねえ……」。それで済んだという。
ロッパの好きだったのが、美食。古川ロッパはまさに、「食うために、生きた人」であります。それは『古川ロッパ昭和日記』を読めば、すぐに分かるでしょう。「日記」とは言いながら、全篇これ、「食日記」になっているのですから。たとえば。

「ポタアジュ、ブフアラモド、冷鶏とシャベット。うまかりし。」

これは昭和十一年八月十七日の、「日記」。原文には、「シャベット」と書いてあります。たぶん、シャーベットのことなんでしょう。「シャーベット」の比較的はやい例かと思われます。
しかし。徳田秋聲の『勲章』にも。『勲章』は、昭和十年の、発表。

「かな子はシャベットを食べながら…………」。

ここでも明らかに、「シャベット」になっているのですが。
徳田秋聲が大正十二年に書いた小説に、『「ファイヤガン」』があります。この中に。

「或るものはまたちゃんとしたアルパカの上衣に白のズボンといつた、會社の勤人らしい風をしてゐた。」

アルパカはヴィキューナに似た動物の毛。大正末期には、男の夏服地だったことが分かるものですね。

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