浅草海苔とボウ・タイ

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浅草海苔があれば、安倍川餅がありますよね。宇治茶があるかと思えば、加茂茄子があって。名物に美味いものあり、おらが春といったところでしょう。
どうして浅草海苔かと言いますと。江戸の頃の浅草はもすぐ海で、海苔がたくさん採れた。その豊富な海苔をそれぞれに加工しては、売った。だから浅草海苔なんですね。

「浅草のり、江戸にては入梅の節に至れば、風味変じて用たたず…………」。

江戸の古書、『譚海』にはそんな風に出ています。海苔もまた寒仕込みといって、寒い時に採ったの良しとしたんだそうですね。『譚海』には。
「びいどろのふらすこへ入れ置きて………」。
と、書いています。それを大切に一年の間、使ったんだそうですね。
今も、「品川巻き」の言葉があります。海苔を巻いたあられなどにも。これも品川沖の海苔からきているわけです。戦前まで、実際に海苔が採れたのが、大森。今も大森に海苔屋が多いのは、そのためなんでしょう。
大森に生まれ、育ったのが、池部 良。池部 良の弁当が、海苔弁当だった、と。

「御飯と御飯の間に四つ折りの大判な海苔を挟み…………」。

池部 良著『そよ風ときにはつむじ風』に出ている話。この海苔弁当は池部 良のお父さんが毎日作ってくれたという。
池部 良が主演した映画に、『青い山脈』があります。1949年の日本映画。原作は、石坂洋次郎。石坂洋次郎のまた別の小説に、『あじさいの歌』が。この中に。

「無造作に着こなした紺色の上衣、黒の蝶ネクタイという服装と…………」。

これは倉田源十郎という富豪の着こなし。『あじさいの歌』は、1962年に発表された物語。この時代には、蝶ネクタイの切売りさえあったものです。細いリボンがあって。80センチといえば、それだけ分、売ってくれたものです。
もっと気楽に、ボウ・タイを結んでみたいものですね。

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