ボーロとボレロ

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ボーロは、懐かしいお菓子ですよね。今も、あるんでしょうね。ポルトガル渡来の西洋菓子。形が丸いから、ボーロなんでしょう。
丸くて、小さくて、くらいでも食べられる。食べると口の中に、ミルクとバターの香りが立ちのぼってきて。
明治の時代には、「園の露」というボーロが流行ったらしい。この「園の露」ひとつひとつ薄紙に包まれていて、人呼んで、「衛生ボーロ」。
ボーロが出てくる小説に、『私の東京地図』があります。佐多稲子が、昭和二十二年に発表した物語。というよりも、半自叙伝。

「店先のガラス棚には、ボーロやビスケットを、腰の高いガラス罎に入れて出してあるといふやうな………………」。

これは大正時代の、日本橋、「鹽瀬」の様子なんですね。どうして大正時代の日本橋なのか。佐多稲子はその頃、日本橋の「丸善」に勤めていたから。「丸善」の洋品部に。

「バツキンガムの編ネクタイやエガーの毛織ものの襟巻、麻のハンカチなどといつしょに…………」。

もちろん佐多稲子の職場である丸善、洋品部での様子なんですね。
たぶんそこに並んでいたもののひとつに、靴下留めが。むかしは靴下を靴下留めで、吊って履いたものです。

「もう二度とあの強い靴下留が腿を締めつけないといふことだつた。」

三島由紀夫著『仮面の告白』には、そのように出ています。学習院での制服をふりかえって。また『仮面の告白』には。

「チェック縞のボレロの間から夥しいレエスが溢れて風にそよいでゐた。」

これは、園子という女性の着こなし。ボレロはふつう女の人の服装。でも、闘牛士の衣裳は、紛れもなく、ボレロのスタイルであります。
どなたか、ボーロを食べるにもふさわしい、男のボレロを作ってくださいませんか。

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