出家と縞ズボン

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出家ということがありますよね。本式のお坊さんになることなんでしょう。もう少し具体的に言いますと。頭を丸めて、袈裟に身を包む。もちろん仏教の定める決まりに従わなくてはなりません。
たとえば、瀬戸内寂聴。瀬戸内寂聴は、作家から出家なさったお方。1973年に、中尊寺にて。瀬戸内寂聴の出家を導いたのが、今 東光。今 東光もまた、作家から出家の経験があります。
今 東光は天台宗の僧。僧名は、春聽。それで、寂聴と名づけたのでしょう。
1927年に、芥川龍之介が死去。この時、大いに悩んだのが、今 東光。で、結局、仏門に入ることになったんだそうですね。
今、東光の弟さんが、今 日出海。今 日出海もまた、作家。1968年には、初代の文化庁長官をも勤めています。文化庁長官時代には、初の、パリでの「唐招提寺展」を実現させています。
今 日出海は、パリに行くと、名前が変わる。「こん ひでみ」ではなにかと具合が悪いので、「イマ ヒデミ」。まあ、所変われば品変わる、ということなんでしょうね。

「私たちはケンチが最初の講義の時、黒い上着に縞ズボンという仏蘭西帰りの辰野、鈴木両先生に匹敵するいでたちで教員室に現れた時は瞠目した。」

今 日出海著『私の人物案内』に、そんな風に書いています。「ケンチ」は、中島健蔵のこと。「辰野、鈴木両先生」は、言うまでもなく、辰野 隆と、鈴木信太郎を指しています。
今 日出海は、東大の仏文で、辰野 隆の教えを受けています。その同級だったのが、中島健蔵、小林秀雄、渡辺一夫、三好達治だったそうですね。
それはともかく。大正末期の東大の先生は、縞ズボン姿だったのですね。イギリスでいうところの、「ヴェストン・ノワール」。黒の上着に、縞ズボン。モーニング・コートの略装として。
こんなことばかり言ってるようでは、出家などできそうもありませんが。

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