hose(ホーズ)

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静かなる足許の衣裳

ホーズは「長靴下」のことである。「靴下」がソックスであるのに対して、ホーズと呼ばれる。ホーズ hose は、ギリシア語の「ホーゼ」hoseから来ているという。古代ギリシアの時代にも靴下らしきものがあったのだろう。
ホーズから生まれた「ホージャ」 hosier には、「洋品店」の意味がある。また「ホージャリー」 hosiery は、靴下をはじめ「編物」全般を指したりもする。

ホーズの言葉自体は1000年頃から使われているというから、古い。ただ、それは布製靴下のことで、編物によるものではなかった。編物製の靴下がはじめて英国に伝えられるのは、1540年代のことであったと伝えられている。それはスペインからヘンリー八世への贈物の中にあった、と。ということはその時代の英国には、編んだ靴下はなかったのに違いない。

ヘンリー八世の跡を継いだエドワード六世は、スペインの商人から編んだ絹靴下を買い求めたという。ここだけから考えるなら、編物製の靴下はスペインが早かったのだろうか。
しかしフランスでも1520年代に、編物製の靴下があった。というのは「靴下編物職人組合」が、1528年8月16日に結成されているからである。フランスであるのかスペインであるのかはさておき、1520年代に編物製の靴下があったことは、間違いないだろう。ただしその時代にあってはすべて、手編みだったことはもちろんである。

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英国人、ウイリアム・リーが靴下編機を発明したのは、1589年のことである。ここからゆっくりと機械編みによる靴下が作られるようになる。ただし手編み靴下が消えたわけではない。長い間、手編みもあり、機械編みもあったのだ。
1669年の英国には、約七百台の靴下編機があったという。それを使って編む職人の数、ざっと千二百人であったと伝えられている。そしてその多くは絹靴下で、ごく一部にウールの靴下があった。ウイリアム・リーがノッティングガムの出身者であったからか、当時の靴下産業はノッティングガムに集まっていたとのこと。

十八世紀以前のズボンは主にブリーチズであって、これにはホーズが不可欠であった。膝下で括る半ズボンであるから、膝下の衣裳として必ずホーズを組み合わせたのである。と同時に、自分の脚の美しさを誇るためのかけがえの無い小道具でもあっただろう。

「白のズボンに華奢な靴下をはき、緑色の上着を着込み、ハンカチにはありったけの香水をふりかけた。」

これは『ボヴァリー夫人』の一節。1857年の、フロベールの代表作。物語に登場する、レオンという洒落者の様子である。フランスでの話であるから、「バ」 bas と言うべきではあろうが。「華奢」とはなにか。誰の目にも優雅この上もない靴下であったものと思われる。

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「絹のお靴下は洋服箪笥の右側の小盆。礼装用のネクタイはその上にございます。」

1932年に発表された『死体をどうぞ』の一文。ドロシー・L・セイヤーズの物語。これは執事のアーヴィン・バンターが、主人のピーター・ウイムジーに教えている場面。「絹のお靴下」というからには、やはりホーズであっただろう。

「絹のシャツのえりがはだけて、白い靴に、白い靴下をうがち、びろうどのスモーキング・ジャケットを着ていた。」

エラリー・クィーン作『エジプト十字架の謎』の一節。1932年の発表。これは、富豪のトーマス・ブラッドの姿。「白い靴下」だけではよく分からないが、ひとつの想像として、シルク・ホーズではなかっただろうか。

「履いているのは高価な〈ターンブル&アッサー〉のミッドナイトブルーのシルクのソックス。青いウールのソックスとグレーの木綿のソックスを履き古したあと、タイガーが三十足贈ってくれたソックスのひとつだった。」

ジョン・ル・カレ著『シングル&シングル』の一節。これはオリヴァーの靴下。タイガーは「シングル&シングル」社の社長という設定。
ソックスなのかホーズなのか。それにしてもこれは1999年の物語で、絹靴下三十足は優雅そのものであろう。

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