徳川とトータル

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徳川という姓がありますよね。もちろん「徳川家」となりますと、やんごとなき名家であります。
畏れおおくはない「徳川」もあって、徳川夢声。徳川夢声は、サイレント映画時代の、活動弁士。活動弁士を略して、「活弁」。音も声も出ないわけですから、弁士がそれを補ったわけですね。
大正時代のはじめ、「赤坂葵館」という小屋があって、福原駿雄はこの葵館で弁士をやることに。その時、館主が「徳川夢声」の芸名を考えた。「葵館なら、徳川だろう」と。後でそれを知った夢声はたいへんに恐縮したという。
徳川夢声の「話芸」は多岐にわたっています。また、「話芸」の達人でもありました。徳川夢声はまた、対談の名人でもあったのです。そのひとつの例を挙げるなら、『問答有用』
。『問答有用』は、昭和二十六年からはじまった、『週刊朝日』の人気ページ。昭和二十九年には、江戸川乱歩と対談。それがまあ、親友同士であるかのようなくだけた会話になっているのです。

「かわった職業では、シナそば屋をやったこともあるんだろう。」

これは江戸川乱歩が作家になる前、多くの仕事を転々とした件での話。江戸川乱歩のつくる「シナそば」、一度食べてみたかったですね。
徳川夢声が出てくる小説に、『帰郷』があります。昭和二十三年に、大佛次郎が発表した物語。

「徳川夢がこの店の料理の味が一番うまかったと日本に帰って週刊雑誌に書いたのを…………」。

これはシンガポールの「杏花村」という店のこと。『帰郷』にはまた、こんな描写も出てきます。

「アメリカの雑誌の広告を見ると、帽子、服、靴から靴下まで親切に組み合せて…………」。

『帰郷』のなかでの表現は、「ショウウインドウ趣味」となっています。それは崩すことを知らない野暮だと否定しているのですが。大佛次郎ならではの卓見かと思われます。
俗に「トータル・スタイル」とは申しますが、ただ揃えれば良いわけでもありませんよね。
少しは夢声の「話芸」そして「間」を学びたいものです。

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