村と紫

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村という言い方がありますよね。たとえば、「八つ墓村」とか。でも、「八つ墓町」とはあまり言いません。では、どこからが町で、どこまでが村なのか。よく分からないところがあります。
昭和二十年代の七尾は、村に近い風情だったらしい。「七尾」は熱海の少し先。伊豆に寄ったあたり。福島慶子は、七尾のたくわんが絶妙だと書いています。

「私の住む熱海の沢庵は、近県の 同類中最も群を抜いている。」

昭和二十九年『暮らしの手帖』25号に出ています。それは「七尾沢庵」と呼ばれて名物なんだそうです。今も、「七尾沢庵」はあるらしい。
福島慶子は『暮らしの手帖』に、どうして七尾沢庵のことを書いたのか。随筆の特集が「つけもの」だったから。たとえば中村汀女は、「たか菜漬」についてい一文を寄せています。今から考えれば、なんとも贅沢な企画であります。
さらには永井龍男は、「青とむらさきと白」の題で随筆をものにしています。ひとつの例として、新生姜漬。新生姜の時期にさっと「掃除」をして食べられるばかりに。その新生姜を、醤油で練った味噌に漬ける。夜漬けた新生姜が朝には佳き塩梅になっているんだとか。
永井龍男は「青とむらさきと白」の中で、「むらさき」にもふれています。
ある時、堀 辰雄が芥川龍之介と食事をした。芥川龍之介が、堀 辰雄にご馳走をたぶん大正末期のことなにのでしょう。永井龍男は、堀 辰雄から直に聞いた話だと断っています。
芥川と堀が食事中に、「むらさき」と言った。醤油のことを。すると芥川龍之介は言った。

「むらさきは、牛肉屋の女中の符牒だよ…………」。

堀 辰雄はこれを聞いてから、二度と「むらさき」の言葉は使わなかったという。
色の話をいたしますと、紫はパープルであり、ヴィオレであります。私は紫のネクタイが好き。私ごときに紫様が結んでもらいたいと思っているかどうかは別にして。
淡いピンクのシャツに、淡い紫のネクタイ。いつか結べる日がくるのでありましょうか。いきなり町では羞かしいので、人の少ない村ではじめることにいたしましょうか。

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