ビールとピケ帽

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ビールの飲み頃は、6度くらいなんだそうですね。たしかに日本の夏には冷えたビールは美味しいものです。
ビールに煩かったお方に、北大路魯山人がいます。北大路魯山人はビールの温度ばかりではなく、その注ぎ方にもやかましく言ったという。それだけに、北大路邸に招かれてビールが出されて、客がすぐに飲まないとご機嫌斜めになったそうですが。
人の好みは様ざまで。やや温いくらいのビールがお好きだったのが、茂出木心護。茂出木心護は、日本橋の「たいめけん」の初代。茂出木心護は、工夫の人で、努力の人で、一時は特製ラーメンを出したりも。
その茂出木心護が、ある時ビール工場の見学に。この時、出来たばかりのビールを試飲。これが温くて、美味かった。以来、冷えたビールは口にしなかったそうです。
ビールがお好きだったお方に、小津安二郎がいます。たとえば。

「バスにて尾張町に戻り、東興園にゆき麦酒をのむ。」

1953年6月17日の『日記』にそのように出ています。「尾張町」は今の銀座四丁目あたり。「東興園」は、小津安二郎が贔屓にした中華料理屋。小津安二郎の『日記』を読む限り、前日の16日にも、翌日の18日にも「麦酒」が出てきますから、決してお嫌いではなかったのでしょう。
6月17日の『日記』には、東陽公園に行ったことが記されています。この日の小津安二郎は、ロケハンの日だったのです。
ロケハンの時の小津安二郎は自動車には乗らない。バスか電車を使って、歩きに歩く。歩きに歩いた後での「麦酒」、さぞかし美味かったことでしょう。
ロケハンの時の小津安二郎が必ずかぶったのが、白ピケ帽。小津安二郎は註文でいくつもの白ピケ帽を作らせて、もし汚れると、自分で洗ったという。
さて、白ピケ帽をかぶった、ビールを飲みに行くとしましょうか。

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