パリとハワイアン・シャツ

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パリは、美しい街ですよね。パリの街は、いつ、どこを写しても絵になるところがあります。まさに、「花の都」と呼ばれたゆえんでありましょう。
巴里を写した写真家に、木村伊兵衛がいます。木村伊兵衛の写した巴里は、今なお写真集の中に観ることができます。それは故き佳き時代の「巴里」であって。ざっと五十年前の匂いが伝わってくるものです。
木村伊兵衛が羽田空港を発ったのは、1954年9月2日。途中、ギリシア、イタリア、ドイツなどに立ち寄って、巴里には10月10日に着いています。
巴里でまず最初に会ったのが、アンリ・カルティエ・ブレッソン。この時、木村伊兵衛に同行したのが、高田 美。以前、ピエール・カルダンの右腕であったお方。
ブレッソンは、言った。
「君は巴里でぜひとも会うべき人物がいる。会っておかないと必ず後で後悔する。」
で、引き合わせてくれたのが、ロベール・ドアノオ。
ドアノオは、木村伊兵衛に言った。
「ぜひ、巴里祭を撮るべきだ。」
それで、巴里祭の写し方を教えてくれて。ドアノオは自分の自動車の屋根に工夫がしてあって、屋根に登ることができる。それで高い位置からの、巴里祭が写せたんだそうですね。
ふつう車が巴里の裏道に入って行くと、当時は地元の人にひっくり返されることがあった。でも、ドアノオの自動車だけはひっくり返されることがなかったという。
パリから幕を開けるミステリに、『贋金づくり』があります。スタンリー・エリンが1960年代に発表した短篇。
『贋金づくり』は、パリのカンボン通りからはじまる。カンボン通りのホテルに、アメリカ人夫婦が泊まっている。ウォルトと、ミリーとが。ふたりはこれから、クリニアンクールに行こうとしている。
ミリーは、ウォルトの服装が気にいらない。

「その恰好で出掛けるつもりなの? おかしなアロハシャツに、上衣も着ないで…………………」。

「アロハシャツ」は、またの名前をハワイアン・シャツ。「ハワイアン・シャツ」のほうが、一般名称という感じがあります。
さて、ハワイアン・シャツを着て。木村伊兵衛の写真集を探しに行くとしましょうか。

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