ブルースとブッシュ・ジャケット

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ブルースはもちろん音楽のブルースですよね。「青の歌」であります。「blues」。
「哀歌」といっても間違いではないでしょう。人の心の哀しさを歌うのですから。
日本でも「ブルース」は流行ったものです。たとえば、『別れのブルース』とか。『別れのブルース』は、昭和十二年、六月に淡谷のり子が歌って、拍手喝采。大流行となった歌であります。淡谷のり子はのちに、『ブルースの女王』と謳われたほどです。
『別れのブルース』を歌ったのが、石津謙介。戦後、中国の天津から日本に引き揚げる船の中で。慰安のための歌謡大会があって。その歌謡大会で、石津謙介は、『別れのブルース』を熱唱。それというのも、化粧して、女装で歌ったのですから。美事、一等賞を。
ところで淡谷のり子はどうして『別れのブルース』を歌うことになったのか。それ以上の淡谷のり子は主に、タンゴ。タンゴのほかには、シャンソン。シャンソンの前は、クラッシック音楽の歌手だったのですが。
そうそう、淡谷のり子は。青森の、寺町の「大五 阿波谷」の長女として生まれています。まんざらファッションに縁がないわけでも。そういえば、淡谷のり子は黒い着物の帯に、おらんだ船を描かせたことがあります。それを描いたのが、竹久夢二。
昭和六年に。「フロリダ」に、アメリカの「フィッシャー・オーケストラ」が、一晩だけ出演。「フロリダ」はその頃にあったナイトクラブ。「フィッシャー・オーケストラ」が演奏したのが、『セントルイス・ブルース』。この『セントルイス・ブルース』を聴いて感動したのが、淡谷のり子。
そこから試行錯誤がはじまって、『別れのブルース』に。服部良一作曲、藤浦 洸作詞。
♬ 窓を開ければ……………。
昭和十二年のことでありました。
ブルースが出てくるミステリに、『ロシア・ハウス』があります。1989年に、ジョン・ル・カレが発表した物語。

「ギターを弾いてブルースを歌うジプシーがいた。」

『ロシア・ハウス』には、こんな描写も出てきます。

「リネンのブッシュ・ジャケットに、グレイのフラノのズボン、サンダル・シューズ。」

これは物語の主人公、スコット・ブレアの着こなし。
ブッシュ・ジャケットは、ややサファリ・ジャケットにも似たスタイル。それほど珍しいものでもありません。が、「リネン」というのが、羨ましい。リネンのブッシュ・ジャケットでも、しんみりとブルースを聴きに行きたいものですが……………。

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