スタンダールとスーツ

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スタンダールは、フランスの作家ですよね。たとえば、『赤と黒』だとか、「パルムの僧院』だとか、お読みなったことがおありでしょう。あるいは随筆なら、『恋愛論』でしょうか。人はどのようにして「恋愛」をするのか、懇切丁寧に語っています。
ところで「スタンダール」は名前なのか姓名なのか。ただ単に、「スタンダール」なのですから。これは北ドイツの地名、「シュタンデル」に想を得た筆名だと考えられています。あるいは「スタンダール」は、姓だったのかも知れませんが。
1833年12月15日。スタンダールは偶然に、ジョルジュ・サンドに会っています。リヨンの港で。サンドはミュッセと一緒にヴェニスに向かうところ。スタンダールは赴任地のイタリアに戻るところ。結局、この三人はロオヌ河を下る同じ船に乗ることに。途中、マルセイユの宿で、一泊。この夜、スタンダールは愉快だったらしく、レストランでひとりで踊りはじめた。
どうしてそんなことが分かっているのか。ミュッセが、「おどるスタンダール」と題する素描を遺しているからです。
スタンダールは親切にも、アヴィニョンの町をサンドたちを案内してまわったそうですね。
ジョルジュ・サンドは、「男装の麗人」としてもよく知られています。時代は1830年代の巴里ですから、ずいぶんと早い「男装」だと言えるでしょう。サンド自身は、『わが生涯の歴史』の中で、こんな風に書いています。

「そこで私は灰色のラシャ地でフロックコート、同じようなズボンとチョッキをこしらえた。はいいの帽子をかぶり、ウールの大きなネクタイをすれば、どこから見てもわはこがらな一年生の学生であった。」

ここでの「ラシャ地」はウール地、「ネクタイ」はクラヴァットと考えて良いでしょう。それはともかく、この時のサンドの「男装」、限りなくスーツに近いものであったことが、理解できるでしょう。
倫敦にラウンジ・ジャケットが、1848年頃に登場することを考えるなら、サンドの「スーツ」がいかに斬新であったかが分かるに違いありません。

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