ブルターニュとフラール

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ブルターニュは、フランス北西部の地方名ですよね。クレープを食べ、シードルを飲むのは、もともとブルターニュの習慣だったものです。
ブルターニュにはブルターニュ独特の文化があって。たとえば、「コワフ」 c o ifff e 。大きな、白い髪飾りのことです。古くからの女性の被り物。
ブルターニュにはブレトン語があって、フランス語とはまた別種の言葉なんだそうです。今、ブルターニュと呼ばれる前は、「ブリタニア」で、ブリタニアの前は、「ブリトン」であったという。
つまりケルト文化の影響を受けた「ブリトン人」の移住があったのだろうと、考えられています。
巴里からブルターニュ地方へと旅した人に、フローベールがいます。1847年5月1日。朝の8時30分に巴里を発っています。ギュスターヴ・フローベール、26歳の時であります。友人の、マクシム・デュ・カンとふたりで。
では、フローベールとカンはどうやって旅をしたのか。主に、徒歩で。フローベール著『ブルターニュ紀行』には、そのように出ています。さて、服装はどうだったのか。

「平織りの上着一着 ( 馬丁の着るようなシャレたやつ ) 」

まったくの想像なのですが。今のラウンジ・ジャケットに似たものではなかったでしょうか。旅を続けて、サン=マロに着いたフローベールはこうも書いています。

「海の上に築かれ、城壁に囲まれたサン=マロは、訪れる者には、波の上に置かれた石がつくる冠のように見える。」

ブルターニュが出てくるミステリに、『怪盗ルパン』があります。もちろん、モオリス・ルブランの作。

「ブルターニュ半島の尖端、ブレスト発のパリ行き急行。その疾走中の貨車から………………」。

言うまでもなく、国宝級の美術品が消えるという物語なのですが。『怪盗ルパン』には、こんな描写も。

「シルクハット。白い絹のマフラー。黒いコート。細身のステッキ。手袋は、もちろん白いキッドだ。」

もちろん、アルセーヌ・ルパンの着こなしなんですね。マフラーは、英語。フランス語なら、「フラール」 fo ul ard でしょうか。
いつの日にか、フラールを巻いて、ブルターニュを旅したいものですね。

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