ボズとボタン

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ボズは、ときどき人の名前にありますよね。もちろん、B oz と書きます。男の子の名前。
これはおそらく、チャールズ・ディケンズの筆名から生まれたものと考えてよいでしょう。1833年。ディケンズがディケンズとして名を揚げる前の、ペンネームなのです。
ボズが書いた「スケッチ」なので、『ボズのスケッチ』は今、ディケンズ初期の傑作とされています。ディケンズが当時の倫敦で注目されるようになった最初が、『ボズのスケッチ』なのです。
言い換えれば、『ボズのスケッチ』以前のディケンズはまったくの一青年だったのです。
1833年、無名の一青年、ディケンズはどうしたのか。『マンスリー・マガジン』に投稿したのです。『マンスリー・マガジン』は、1796年の創刊。でも、1833年頃には、部数低迷。そこにディケンズは注目した。
ディケンズは勇気を奮い起こして、投稿。具体的には、倫敦、フリート街にあった『マガジン・マガジン』編集部の郵便箱に、自分原稿を投げ入れたのであります。
その結果、採用、印刷、掲載。この『ボズのスケッチ』が、好評、話題となって、『マンスリー・マガジン』の部数も急増したという。
では、ディケンズはなぜ「ボズ」の名前を思いついたのか。ディケンズには、オーガスタスという弟がいて。「モーゼス」の発音がうまくできない。モーゼスと言おうとして、「ボズ」になってしまう。この「ボズ」の言い方が可愛いというので、仇名が「ボズ」。
つまりディケンズは弟のニックネームを借りたということになるでしょうか。ただし最初ディケンズなりの発音としては、「ボウズ」であったらしいのですが。
チャールズ・ディケンズが、1852年に発表した長篇に、『荒涼館』があります。この中に。

「見事なひだ飾りのシャツ、純白のチョッキ、よく磨かれたボタンをきっちりはめた青いジャケット………………。」

これは、サー・レスター・デッドロックという紳士の着こなし。おそらくメタル・ボタンなのでしょう。
さて、ブレイザー のボタンを磨いて。『ボズのスケッチ』初版本を探しに行くとしましょうか。

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