カマーバンド(cummerbund)

Cummerbund1950
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優雅なる腹巻

カマーバンドは礼装用の腹帯である。もちろんドレス・ヴェストの代わりとして使われるものだ。
ディナー・ジャケットを着たなら、ブラック・タイを結び、カマーバンドを締める。これによってブレイシーズなどの「下着部分」を隠すのである。
一方、イヴニング・コート(燕尾服) には、カマーバンドは使わない。燕尾服には白の礼装用チョッキと決まっている。このドレス・ウエイストコートの略装がカマーバンドなのだ。

カマーバンドそのものの歴史は古い。極端な話、腹になにか布を巻きつければ、それがひとつの衣裳となっただろうから。
イギリス人もまた、はるか遠い国の衣裳のひとつになんらかの「腹帯」があることを、知っていたに違いない。少なくとも1616年には「カマーバンド」の言葉が使われているという。リチャード・コックス著『日本日記』の中に、「カマーバンド」が出てくる。ただ、それがどのような「腹帯」であったかは定かではない。

「ゴールドの花模様があしらわれた一枚のカマーバンド……」

1687年『ロンドン・ガゼット』の記事の一節。当時の英国人は「カマーバンド」の存在を知らなかったわけではない。が、自分たちがそれを使ったのでもなかっただろう。

「サムシャーは薔薇色の、モスリン地のカマーバンドを巻いている。

1813年の『貴婦人と乳母』の一文。著者は、英国の児童文学者、マリー・マーサー・シャーウッド。これはインド植民地での話なので、土地の人の風俗として描かれているのだが。

「病を防ぐためになんらかのベルト、もしくはカマーバンドを用いるべきである。」

1869年刊『健康のための実用案内』の解説にはそのように出ている。著者は、エドモンド・A・パークス。1860年代には、治療用のカマーバンドがあったのだろうか。

さて、今日のカマーバンドの出現は、1893年のことである。それ以前のロンドンで、カマーバンドを使おうという発想はなかった。その大胆な発想を実行に移した人物は、ジョセフ・オースティン・チェンバレンである。

ジョセフ・オースティン・チェンバレンは、1892年に、議員として当選。後に英国保守党に移った政治家。1924年からは、外務大臣。1926年にはノーベル平和賞を受けている。

若き日のチェンバレンは、1893年の議会でのパーティに、カマーバンド着用で出席。この着こなしに賛否両論があったことはいうまでもない。8月のことであったという。それはイエローとレッドによる鮮やかなストライプ柄のカマーバンドであった。

「今の若者たちは、従来のウェストコートの代わりに、大胆な色調のシルク地を腰に二回ほど巻きつけ、一方の脇で宝石入りの装飾的なボタンで留めるようなことが行われている。」

1893年『ザ・テイラー・アンド・カッター』8月号の記事である。

カマーバンド着用は明らかにインド植民地での風俗であった。インドに赴任した英国人がインド衣裳を採り入れて、カマーバンドを巻いたのである。が、それはあくまでも植民地での装いであって、英国内ではあり得なかった。
ところが、まず若者がそれを真似し始める。そしてさらにはチェンバレンが議会でのパーティにカマーバンドで出た。そういうことなのであろう。

それはともかく、1890年代のカマーバンドはむしろスカーフに近いものではなかったか。少なくとも、脇を飾りボタンで留めたものと思われる。それが今のように使いやすく形作られるのは、1910年代に入ってからのことであろう。

「カマーバンドは実に下品なものである。」

1895年『ザ・テイラー・カッター』誌6月号は、そう書いている。当時の保守的な人の目からは、新奇すぎる代物だと考えられたに相違ない。

「今年から流行しはじめているものに、夏期の礼装に用いられる、ブラック・シルクのカマーバンドがある。」

1928年『メンズ・ウエア』誌5月21日号の記事の一節。ということはアメリカでカマーバンドが一般的になるのは、1920年代末のことと思われる。

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