ボヘミアンとボウラー

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ボヘミアンは、わりあいによく使われる言葉ですよね。でも、「ボヘミアン」は、日本語に訳しにくい。というよりも、私なんぞはそのほんとうのところは、解りかねています。
永井荷風は若い時分、ボヘミアンに憧れたことがあるそうです。芸術家的な、自由な、放浪生活に。もしボヘミアンを、「芸術家的な、自由な、放浪生活」と定義して良いのなら、永井荷風以外にも探せそうです。
たとえば、サマセット・モオム。モオムは医者になるための勉強をし、実際に医者にもなったのですが、結局は作家になったお方であります。モオムもまた、若い頃、一時期、ボヘミアンとして過ごしたものらしい。その一鱗は、『お菓子とビール』にも窺うことができるでしょう。
ボヘミアン生活を送って作家に、ディクスン・カーがいます。ディクスン・カーは、1928年に大学を卒えて、それから巴里に。巴里では法律を研究するはずが、ボヘミアン生活へと。
そして1930年に、『夜歩く』でデヴュー。ディクスン・カーの物語が面白いのと、ボヘミアン経験とは無関係ではないでしょう。ディクスン・カーが、1933年に発表したのが、『帽子収集狂事件』。『帽子収集狂事件』というくらいですから、たくさんの帽子が出てくるのですが。

「そう、山高帽にもはいっておるはずじゃ。」

これはウイリアム・ピットン卿の科白。
ウイリアム・ピットン卿の帽子には、金文字で、「ピットン」と名前を入れてある。外側に。間違えないように。その話をしている場面。
山高帽がボウラーであるのは、言うまでもありません。
でも、帽子の外側に、名前。良いかも知れませんね。

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