蕃薯とバズビー

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

蕃薯と書いて、「ばんしょ」と訓んだんだそうですね。むかしはサツマイモのことを、「蕃薯」とも言ったらしい。ちょっと硬い言葉ですが、『米欧回覧実記』には、芋のことを「蕃薯」と記してあります。
明治四年に、岩倉具視が日本を代表して、アメリカに。総勢、46名だったという。その時の公式の記録が、『米欧回覧実記』なんですね。明治四年は1871年のことですから、ざっと150年ほど前のことになります。とにかく見るもの聞くもの、はじめてのことばかり。今、あらためて読みますと、SF小説にも似た快感があります。
『米欧回覧実記』を認めたのは、久米邦武というお方だったのですが。
たとえば、明治五年五月十一日のところに。使節一行は、アメリカのサラトガに行っています。では、私たちの先祖は何を食べたのか。

「是ハ蕃薯ヲ薄片ニ截テ油ニテ煎熬セルモノニテ、此地ノ名産ナリトイフ…………………。」

たしかにサラトガで「蕃薯」を食べています。サラトガの蕃薯、実はこれ、ポテトチップスなんですね。たぶん日本人が食べた最初のポテトチップスだったでしょうね。
ポテトチップスは1853年にサラトガで誕生したと、考えられています。ですから最初は、「サラトガ・チップス」と呼ばれたんだとか。サラトガ・スプリングスは、リゾート地。ここに来る贅沢な客が、「うんとうんと薄いポテトフライを」と注文したので、「サラトガ・チップス」が。

「思い出して、投げだしてあったポテト・チップスの袋を割いた。が、ひとで止した。」

河野多恵子が、1961年に書いた『幼児狩り』の一節。小説に描かれた「ポテト・チップス」としては、比較的早い例かも知れませんね。これは主人公の、林 晶子という女性の様子。
それにしてもひとつでポテトチップスやめられるなんて、意志の強いお方ですね。
ここでまた、『米欧回覧実記』に戻りましょう。

「英国親衛兵ノ楽隊、緋衣熊冠シ楽会ヲ助ク……………………。」

「緋衣」は、イギリス兵のレッド・コート。「熊冠」は、例のバズビー帽のことです。あれは伝統的に、熊の毛皮で出来ているんだとか。バズビー帽が思い浮かばないので、「熊冠」。これで「ゆうかん」と訓ませています。なるほど、考えたものですね。
一度、イギリスに行って。ポテトチップスを食べながら、衛兵のバズビー帽を眺めてみたいものですが。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone