活動と外套

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活動にも、いろんな意味があるんでしょうね。そのひとつに「映画」を指して、活動。これは活動写真を略して、「活動」と言ったものです。
たしかに「写真」が「活動」するのですから、「活動写真」でもあったのでしょう。
そもそも「映画」の言葉はまだ、生まれていなかったのですから。少なくとも大正時代までは、多く「活動」。昭和の時代になってから、だんだんと「映画」と呼ばれるようになったのでしょう。

「やあ何時の間にか勧工場が活動に變化してゐるね。些とも知らなかった。何時變つたんだらう」

夏目漱石の『行人』を読んでいると、そんな一節に出会います。ここでの「活動」が、今の映画なのは言うまでもないでしょう。ついでながら、「勧工場」は、今日のデパートに近いものです。いつの間にかデパートが映画館に変っているね、くらいのところでしょうか。
活動が出てくる小説に、『外套』があります。柏原兵三が、昭和四十六年に発表した、短篇。

「たとえば私の亡くなった外祖父は絶対に映画といわないで、活動写真といった。孫たちが古い言葉だと嗤っても決して直そうとしなかった。」

時代背景としては、戦後間もなくのことかと思われます。また『外套』には、こんな場面も出てきます。

「ニ年間のヨーロッパ出張中にロンドンで買い求めたバーバリのレインコートを外套代りに着ていたからである。」

これは主人公のお父さんのこと。柏原兵三は、「バーバリ」と書いています。柏原兵三の『外套』を読むと、その時代にはいかに外套を大切に扱ったかが、よく分かります。上等の外套が擦り切れてくると、それをほどいて、子供たちの服に仕立て直したり。
なにか好みのコートを羽織って、映画でも観に行きたくなってしまいました。

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