人情とニット・タイ

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人情は、人の情けのことですよね。人の情けと書いて、「人情」ですから、間違いないでしょう。

「情けは人の為ならず」

昔からそんな言い方があるんだそうです。結局これは、「情けは自分の為」という意味なんですね。人に情けをかけることは、まわりまわって、自分のところに戻ってくるとの、考えをあらわしたもの。
「人情」を書いた作家に、川口松太郎がいます。たとえば、『人情馬鹿物語』。この中に、『深川の鈴』と題する話があって。洲崎の「奴ずし」が描かれる。

「直ぐに蒲団屋を呼びにやり、メリンス友禅の生地を選んで、大型の座蒲団を作らせてたり…………………。」

これは「お糸」の気働き。「奴ずし」の亭主が亡くなって、残されたお糸が跡を。そこに小説家志望の「信ちゃん」が世話になる話。お糸は、「傑作を書くには」と言って、信ちゃんのための座蒲団を作らせる場面。
川口松太郎の人情物語に惚れたのが、久世光彦。事実、『曠吉の恋』を書いてもいます。副題が、「昭和人情馬鹿物語」。
久世光彦は、一度だけ、川口松太郎に会ったことがあって。

「松太郎さんは縁側のアームチェアで夕刊を読んでいらしたが、首を伸ばして会釈をして下さった。膝の赤と黒のタータンチェックのケットが暖かそうだった。」

これは、久世光彦が、鵠沼のご自宅を、女優の三益愛子に会うべく訪ねた時の様子。
ここから話は飛ぶのですが。
戦前の、京都。京阪、三条駅で。山下喜美子という女学生が通学定期を買おうとして、十銭足りない。
後ろに並んでいた京都、三高の学生が、その十銭を出してくれた。自分の切符は買わずに。
山下喜美子は、『黑いマント』と題する随筆に書いています。黑いマントに、学帽に三本線が入っていたので、三高の生徒と分かったのですが。
昭和二十五年『美しい暮しの手帖』第十号に出ています。同じ第十号に、菊池重三郎が、『ネクタイの話』を書いているのですが。
その頃、菊池重三郎はネクタイを三十三本持っていたらしい。中でもいちばん好きでよく結ぶのが、黒のニット・タイだ、と。たぶん、絹のニット・タイだってのでしょう。
シルクの編みタイは、鉤針で編む。クロシェテッド・ニット。上質の絹のニット・タイは、手で揉むと、「絹鳴り」がします。それくらい緻密に編まれているのです。
好みのニット・タイで、川口松太郎の本を探しに行くとしましょうか。

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