彼岸過迄とピューマ

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彼岸過迄は、夏目漱石の小説の題ですよね。
『彼岸過迄』は、明治四十五年の一月一日から、「朝日新聞」に連載されたものです。
連載は、明治四十五年四月二十九日まで。この時の漱石の様子はどんなふうだったのでしょうか。

「………小説をかく事と相成れ候へども健康を氣遣い日に一回位の割にて龜の子の如く進行する積に候……………………。」

明治四十四年十二月二十八日の、長谷川如是閑宛の手紙に、そのように書いています。必ずしも万全の体調ではなかったのでしょうか。
漱石著『彼岸過迄』の中に。

「實際スチーヴンソンといふ人は辻待の馬車を見てさへ、其所に一種のロマンスを見出すといふ人ですから」

これは「敬太郎」の学校の英語の先生の科白として。
「………此間英國から歸つた許………」
と説明されていますから、あるいは漱石自身が投影されているのではないでしょうか。
ここでの「スチーヴンソン」は、英國の作家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンのことかと思われます。事実、漱石の小説を読んでいますと、よく「スチーヴンソン」の話が出てくるのですが。

「西洋ではスチヴンソンの文が一番好きだ。力があつて、簡潔で、クドクドクドしい
処がない、女々しい処がない。」

こんなふうにはじまって、延々とスティーヴンソンの魅力を語っています。
明治三十九年『中央公論』一月号の、「予の愛読書」という談話の中で。
スティーヴンソンが、1892年に発表した物語に、『難破船』があります。これは、
ミステリとも受け取れる内容になっています。また義理の息子、ロイド・オズボーンとの共著でもあるのですが。この中に。

「翌日、彼はピューマの毛皮と一緒にまた同じ椅子にいた。」

「彼」とは、ハリー・D・ベレアズという人物。これは客船の甲板で、本を読んでいる様子。ピューマの毛皮を膝掛けに使っているのです。
ピューマの毛皮が膝掛けになるのなら、コートにも仕立てられるでしょう。
どなたかピューマの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。

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