ガストンとガーンジー

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ガストンは、男の子の名前ですよね。
たとえば、ガストン・ルルーだとか。1910年に発表された『オペラ座の怪人』はきっと
お読みになったことでしょうね。
また、『黄色い家に秘密』だとか。ガストン・ルルーの『黄色い家の秘密』は、ミステリの古典にして名作だとされています。
ガストン・ルルーの実家は巴里の洋品店だったと伝えられているようです。
洋品店ではなく、巴里の出版社と関係あるガストンが、ガストン・ガリマール。
今もフランスの老舗出版社とされる「ガリマール書店」。そもそもは、1911年に、
ガストン・ガリマールが中心になって結成されて出版社であります。

「………ガストンのタコ部屋で扱き使われてるなんてこいてみろ、笑いものさ!………」。

フランスの作家、セリーヌが1966年に書いた『城から城』の一節に、そのように出ています。ここでの「ガストン」が、「ガリマール書店」を指しているのは、言うまでもないでしょう。もっとも、セリーヌ自身、「ガリマール書店」からも、本を出しているのですが。
同じくセリーヌの『城から城』の中に。

「ガーンジー島のヴィクトル・ユゴーの家か……………………。」

という件も出てきます。
その昔、英國領、ガーンジー島にヴィクトル・ユゴーの家があったのは、ほんとうのことです。
ヴィクトル・ユゴーは、1855年10月31日。それまでのジャージー島から、ガーンジー島に移っています。
1856年には莫大な印税が入り、ガーンジー島の豪邸、「オートヴィル・ハウス」に移転。11月5日のことでありました。ヴィクトル・ユゴー、五十四歳の時のことです。

「ここにしか生息しない百合。ガーンジー百合と呼ばれている。」

ユゴー著『海に働く人びと』に、そのように出ています。ガーンジー・リリイを。
お隣のジャージーにも百合があって、「ジャージー・リリイ」。
その昔、十七世紀末。ガーンジー島沖合で、日本船が遭難。この時船に積んであった百合を植えると、島に根づいたと伝えられています。
ヴィクトル・ユゴーが、1866年、オートヴィル・ハウスで書いた『海で働く人びと』を読んでいると。

「まだ若く、職工か水夫のようだった。厚手のウールの作業服、長ズボン、防水加工をしたゲートルという普段着のままだったから……………………。」

島を歩く若者の様子を、そのように描写しています。
私の勝手な想像ですが。「厚手のウールの作業服」は、ガーンジーではなかったか、と。
ガーンジー g u erns ey は、今のスェーターのこと。さらに古くは、漁師の仕事着だったでしょう。
これはジャージー島でも同じ事情だったはずです。漁師の作業着が紆余曲折して、今日の
「ジャージー」が生まれたように、「ガーンジー」もまたニット・ウエアであることに間違いありません。
どなたか厚手のこれぞガーンジーと呼べるニットを編んで頂けませんでしょうか。

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