音読とおしゃれ

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音読は、音訓みのことですよね。訓読の反対。
「音」は「おん」とも、「おと」とも訓みますからね。
でも、「音読」にはもうひとつの意味があって。「黙読」の反対。なにか本を読むとき、実際に声に出して読むのを、「音読」。
たまに私も本を読むことがありますが、「黙読」。しかし「音読」にも良いところがあって。黙読よりも音読のほうが頭に入るような気がします。
江戸期には、「素読」の言葉があったらしい。寺子屋なんかでも、「素読」」。難しい漢文を、とにかく声に出して読む。意味が分かろうと分かるまいと、とにかく声に出して。それが勉強の基本だったらしい。

「『米國』より講師を招き音読は洋人に託し……………………。l

明治四年十月『新聞雑誌』第十六号に、そのように出ています。この場合の音読は、「英文」を指しているのでしょう。
同じ明治四年の『新聞雑誌』第十八号には、「洋服屋開店廣告」が出ています。出したのは、東京、表茅場町、「柳屋店」。

………此度私店に於ては西洋の仕立師を招抱、羅紗フランネル、其外に反物精製……………………。」

かなり長い広告文なのですが。これを書いたのが、福澤諭吉であります。
えーと、音読の話でしたね。

「先生がただすらすら音読して行つて、そうして「どうだ、わかったか」といつたふうであつた。」

寺田寅彦著の随筆『夏目漱石先生の追憶』にそのように出ています。
これは明治二十九年頃の話。当時の「熊本第五高等學校」での、漱石先生の教え方。
夏目漱石の専門は、英文學ですから、教壇に立って、原文を読む。それが授業の中心だったようですね。
寺田寅彦は同じ随筆の中で、こんなふうにも書いています。

「………とにかく先生は江戸ッ子らしくなかなかのおしゃれで、服装ににもいろいろの好みがあり、外出のときなどはずいぶんきちんとしていたものである。
「君、服を新調したから一つ見てくれ」と言われるようなこともあった。」

明治三十年頃の漱石は、かなり洒落者であったことが窺えるでしょう。
大正時代はじめのことですが。同じくおしゃれだったのが、太宰 治。

「袖も細めに、袖口には、小さい金ボタンを四つづつ縦に並べて附けさせました。黑の、やや厚いラシャ地でした。」

昭和十四年に、太宰 治が発表した『おしゃれ童子』の一節に、そのように書いています。
太宰 治の幼少期の想い出として。
音読もできず、おしゃれもできず、情けない私ではありますが。
せめて人に見てもらいたくなるスーツを一着仕立てて頂きたいものです。

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