クルックシャンクとクラヴァット

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クルックシャンクは、英國の絵師ですよね。クルックシャンクの得意分野は、戯画でありました。
カリカチュアとか、カートゥーンと呼ばれた戯画であります。
ジョージ・クルックシャンクは、1792年に生まれ、1878年に世を去っています。
つまり、十九世紀中庸に人気のあった画家なのです。クルックシャンクが多く描いたのは、当時の倫敦の庶民でありました。市井の民を。クルックシャンク自身、一般市民であったのですから。
王侯貴族が十九世紀にどんな服装であったのか。これはわりあい絵画のなかに遺されています。が、一般階級の服装の資料は、それほど多くはありません。そこで、クルックシャンクの挿絵はファッションの記録としても、貴重な存在となっているのですね。
クルックシャンクを語るとき、忘れてならないのは、ディケンズ。英國の文豪、チャールズ・ディケンズであります。
チャールズ・ディケンズの出世作は、『ボズのスケッチ』。この『ボズのスケッチ』に挿絵を寄せたのが、クルックシャンクなのです。

「こうした厳しい状況を満たしているのはだれか? ジョージ・クルックシャンク氏をおいて他にだれがいるでしょうか? 」

1836年、『ボズのスケッチ』の序文で、ディケンズはそのように書いています。
この時、クルックシャンク、四十四歳。ディケンズ、二十四歳。しかもクルックシャンクはすでに有名画家。ディケンズはまだ、無名作家であったのです。
ところで、なぜ「ボズ」なのか。
「ボズ」は当時のディケンズの筆名でもあったのですが。
若い頃のディケンズの愛読書は、『ウェークフィールドの牧師』。この中に、「モーゼズ」という人物が登場。でも、ディケンズの弟は「モーゼズ」がうまく発音できなくて。どうしても「ボズ」になってしまう。
ディケンズはこの「ボズ」が面白いというので、自分の名前にもしてしまったのです。
『ボズのスケッチ』は、分冊方式で世に出たのですが、好評。話が面白かったから。絵を観ているだけでもおおよその内容が読みとれたから。
その時代の一般市民には、文字の読めない人も少なくなかったのでしょう。
『ボズのスケッチ』は、拍手喝采。なのでありますが。
クルックシャンクは天才画家で、心のどこかに「私の絵で売れた」の想いがあったのでしょう。
一方、ディケンズはもちろん「私の文才があったればこそ」と、口には出さないまでも、気持はあったはず。そんなことから、クルックシャンクとディケンズは一時期、袂を分かっています。
ところで、クルックシャンクはその時代に、どんな恰好だったのか。同業の、
チャールズ・エドワード・ワグスタッフの描いた肖像画を観ると。いかにも、「市民」の装いであります。
立襟ですが、柔らかいカラー。そこにリボンのような、小さいクラヴァットを巻いているのです。
一方のディケンズは、ハード・カラー、ハイ・カラーがお好みで、高々とクラヴァットを巻いていたのです。
「平民」のクルックシャンクに対して、「貴族」のディケンズと言えなくもないでしょう。
「クラヴァット」はたしかにフランス語由来の言葉ですが、ヴィクトリア時代の英國でも、多く「クラヴァット」の言葉が用いられたのであります。
つまり当時のイギリスでも、いろんなクラヴァットがあったことは間違いないでしょう。
どなたか現代に通用する小型のクラヴァットを作って頂けませんでしょうか。

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