三日月と三揃い

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三日月は、繊月のことですよね。細いお月様。
蛾眉の呼び方もあるらしい。三日月形のもとになった言葉ですね。
陰暦の、毎月の三日目に出るので、「三日月」なんだとか。でも、あっという間に消えてしまうお月様でもあります。
むかし鎌倉に、「三日月阿専」という女がいたという。これで、「みかづきおせん」と訓むのですが。
もっとも為永春水の『春宵美談』に出てくる話なのですが。『春宵美談』は、文政七年の刊行。西暦の、1824年のことになりますが。
昔むかし、佐々女ケ谷に、「おせん」と遊女がいまして。為永春水は、「阿専」と書いているのですが。人呼んで、「三日月阿専」。
どうして、「三日月阿専」なのか。あまりに美人、あまりに評判なので、宵のうちにすぐにお声がかかる。それで、「三日月阿専」の仇名がついたんだそうです。
ある時。三日月阿専に富豪の客がついて。客が帰った後で、三百両の忘れ物。三日月阿専がこの三百両を返して。
それでいろいろ三日月阿専のことを調べてみると、さる大名の「落胤」であることが分かって。それから三日月阿専の運が開けたという。

「………此れが本當の舞踏病だわ。最早あきあきよ」 桃紅色の自慢の三日月眉が一寸顰む。

徳冨蘆花が、明治三十五年に書いた『黑潮』の一節に、そのような文章が出てきます。
明治の頃から、「三日月眉」は美人にお似合いのものだったのでしょう。

三日月が出てくる随筆に、團伊玖磨の『パイプのけむり』があります。

「三日月眼鏡の中の細かな音符の群から眼を上げると、皓々たる満月は、中天に例えようも無く美しく懸かっていた。」

團伊玖磨は、『三日月眼鏡』と題する章の中で、そんなふうに書いています。
英語でも、「ハーフムーン」の言い方がありますが。半円形の眼鏡のことを、
團伊玖磨は、「三日月眼鏡」と命名した、という内容になっています。

また、團伊玖磨には、『三点セット』の随筆もあるのですが。

「抑三つ組みというものは世の中に多い。身近なものでは僕達が着る背広の三つ揃い……………………。」

この随筆から想像するに、團伊玖磨は三揃いがお好みだったようですね。
三揃い。ちょっと面倒な言い方ですと、「ウエイストコーテッド・スーツ」でしょうか。
「チョッキ付背広」。でも、ラウンジ・スーツが生まれるはるか以前からウエイストコートはあったわけで、上下揃いの背広が大いなる簡略型なのです。
ヨオロッパの中世の歴史を眺めるまでもなく、紳士の「胴着なし」は、失礼千万だったのであります。
チョッキがないということは、「下着」であるシャツを覗かせる可能性大でありますから。
つまりチョッキを着ないのは、紳士にあらずだったのです。
どなたか完全なる白麻の三揃いを仕立てて頂けませんでしょうか。

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