ティツィアーノとディーナー・ジャケット

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ティツィアーノは、偉大なるイタリアの画家ですよね。
ティツィアーノ・ヴェチェリオは、1490年頃、アルプス山脈の麓の町、ピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれています。
ティツィアーノの正確な生年はよく分ってはいません。ひとつには、ご本人がいろんな説を述べているからでもありますが。
1499年頃、ティツィアーノは、九歳で、ヴェニスに移っています。「セバスティアーノ・ツッカート」の工房に入るために。ツッカートは当時のヴェニスで名高いモザイク師であったということです。
1508年には、ティツィアーノ、「ジョルジョーネ」の弟子になって、制作の手伝いをしています。恐るべき天才だったのでしょう。
ティツィアーノはその時代としては長寿で、八十六歳で、人生の幕を下ろしています。
1576年8月27日に。この少し前、ティツィアーノは、こんな言葉を言ったそうです。

「やっと絵の描き方が分ってきたところなんだが………。」

1533年に、ティツィアーノは、『カール五世の肖像』を完成させています。この絵には、明確に「コッドピース」が描かれています。中世の騎士の「股袋」です。
中世の前開きは今のようではなく、袋状の開口部だったのであります。
ティツィアーノは、1542年には、『ラヌチョ・ファルネーゼ』を描いています。ここにも歴然とコッドピースが見てとれるのです。その細部までが窺えるように。
ティツィアーノに限ったことではありませんが。名画を観ることは、その時代の風俗、衣裳を学ぶことでもあるのでしょう。

ティツィアーノが出てくるミステリに、『霧と雪』があります。1940年に、イギリスの作家、マイケル・イネス発表した物語。

「その後では、姿見がティツィアーノの「聖なる愛と俗なる愛」の歪んだ像を写し出しています。」

また、『霧と雪』には、こんな文章も出てきます。

「丈の長い白いマントを着たアンと、ディナージャケットを着たジェフリーが……………………。」

この『霧と雪』には、何度か「ディナージャケット」が出てくるのです。
英國での「ディナー・ジャケット」は、1898年頃からの用語で。それ以前には、「ドレス・ラウンジ」と呼ばれたもので、前二つボタン型。
1898年頃から「ディナー・ジャケット」となってから、ワン・ボタン型主流になったものです。
どなたか十九世紀末のディナー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。

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