ぶどう酒とファスティアン

ぶどう酒は、ワインのことですよね。ぶどうを原料に造る酒なので、ぶどう酒。
ワイン・レッドは、色の名前にもあります。ボルドーにはボルドーの色があり、ブルゴーニュにはブルゴーニュの色があるように。
色が微妙に違うのは、その味わいも微妙に違うわけで。
世の中にはボルドーしか飲まない人もいれば、ブルゴーニュしか口にしないお方もいるようですね。
日本にはじめて「ワイン」の言葉が登場したのはいつなのか。

「その外「ブランデ」「ワイン」や「シャンパン」のむあみだぶつ、」

明治三年に、仮名垣魯文が発表した『西洋道中膝栗毛』に、そのような一節が出てきます。
これは横濱から船に乗って、ロンドンに旅する話。ワインが出てくるのも当然でしょう。
もっとも仮名垣魯文が洋行したわけではなくて。友人の話をもとに仕上げた戯れ文。
仮名垣魯文の本名は、文蔵。文政十二年(1829年)1月6日。京橋に生まれています。お父さんの名前は、伝吉で、京橋で魚屋を開いていたという。
文蔵は長男であるのに魚屋の跡は継がず、戯文者の道に進んだわけですね。
仮名垣魯文が明治四年に『安具楽鍋』を書いているのは、ご存じの通り。

ボルドーと言いますと。1580年に、モンテーニュの『随想録』がボルドーで発刊されています。今の「エッセー」のもとになった本のことです。
ミッシェル・ド・モンテーニュは、フランス、ペリゴール、ボルドーの近くで生まれています。
1533年2月28日に。今からざっと五百年ほど前に。
1592年9月13日に、同じペリゴールの「モンテーニュ城」で世を去っています。五十九歳の時に。
モンテーニュもまた旅のお好きなお方で。これはひとつには、鉱泉と関係があったらしい。モンテーニュは健康に気を使うところがありまして。当時の健康法として、鉱泉を飲むことがあった。それで各地の身体に良いとされる鉱泉を訪ねることになったのでしょうね。
1580年にもモンテーニュは旅に出ています。1580年9月5日の午後に。ボーモントを出発して。
スイスを抜け、ドイツをかすめ、イタリアをめざして。
もちろん秘書と従者を連れての長旅。道中は主に徒歩か驢馬で。

「ここではまたトリユフを食べる。彼らは皮をむいて薄くそぎ、油と酢であえるのだが、これがなかなかうまい。」

『モンテーニュの旅日記』に、そのように出ています。これは「ロヴェレート」という町でのこととして。実際には秘書の文なのですが。ロオマまでは秘書が。ロオマ以降はモンテーニュが文章を綴っています。
モンテーニュ一行は、この「ロヴェレート」で、一泊しているのですが。

「よい宿屋ではとても柔らかな鳥の綿毛が真白なファスチャンの中に入っているのを用いる。」

これはおそらく羽根布団の説明かと思われます。
また、ここでの「ファスチャン」は、「ファスティアン」
fustian のことなのでしょう。
「ファスティアン」は、毳のある織物。最初はコットンとリネンの交織地だったという。
英語としての「ファスティアン」は、1200年頃からの言葉。
今のデニムももともとは、ファスティアンから出た生地なのですね。
どなたか昔のファスティアンを復活させて頂けませんでしょうか。