ポプリン(poplin)

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聖なる畝織地

ポプリンは美しい光沢をもつ畝織地のこと。今ではふつう木綿で織られることが多い。その意味では、コットン・ポプリンと呼ぶべきであるかも知れない。

ポプリンはどちらかといえば、イギリス的な表現。アメリカでは同じ生地を「ブロード・クロス」 broad cloth と呼ぶことが多い。

ポプリンに使われる糸には様々な種類があるが、コットン・ポプリンの場合にはシャツやブラウスに向くものとされる。

ポプリンはフランスでも「ポプリン」 popelne の名前がある。というよりも、フランスでのポプリンがイギリスに伝えられて、ポプリンになったものである。

フランスでのポプリンは十七世紀にはすでにあったという。南フランスのアヴィニオンで織られた、シルクとウーステッドとの交織地であった。縦にシルク、横にウーステッドを配しての畝織地。その昔、アヴィニオンは、ローマ教皇クレメンス五世が居を定めた所。「ポープ」のいた場所ということから、「ポプリン」の名前が生まれたのであろう。

ポプリンはただ単に名前だけでなく、そもそもは教会で使われる掛け布や、法衣などに使われたものと思われる。シルクとウーステッド。色は、白。それは聖なる畝織地であったに違いない。

「絹毛交織物の一種。縦には細い生絲を密に、緯には遥かに太い梳毛糸を用ひて平織にしたもので ( 中略 ) 白無地の薄物はワイシャツ地となり、またコート地・夫人子供服地・袴地に用ひる。」

三省堂編『婦人家庭百科辞典』 (昭和十二年刊 ) には、そのように説明されている。すでにふれたようにポプリンとは織り方の一種でもあって、そこに使われる絲によってシャツにもコート地にもなるのは、当然である。が、袴にも使われたことが分かる。ポプリンは少なくとも明治中期には日本にも伝えられていたものと思われる。

「ポプリンをはじめとして、様ざまの布地を販売……」

1710年『ロンドン・ガゼット』の一節。ということは1710年代の英国には、ポプリンが伝えられていたのであろう。ただしそれはフランス製ではなかっただろうか。

その後、フランス製ポプリンを元にアイルランドでも織られるようになる。それが、アイリッシュ・ポプリンなのである。

「私は喪服用の、ダーク・グレイの、アイリッシュ・ポプリン地のフロックを一着持っている。」

ミセス・マリー・デラニー著『自伝』(1751 年刊 ) には、そのように出ている。ということは1750年代にはすでにアイリッシュ・ポプリンがあったと考えて良いだろう。これはもちろん、シルクとウーステッドによるポプリンであったに違いない。

ところがさらにその後、「ランカスター・ポプリン」が生まれる。ランカスターで織られたポプリン。それは縦横ともにコットンを配したポプリンであったのだ。つまり今日のコットン・ポプリンは、英国生まれであるのかも知れない。

「ラスティング、ポプリン、サンフォード、シャルーン……」。

『布地の百科事典』( 1960年刊 ) には、1794年の英国で人気のあった生地が列挙されている。が、ポプリン以外には今ではほとんど馴染みがない。つまりポプリンは広い、長く、愛用されてきた生地なのであろう。それはまず第一に美しい光沢があり、適度な張りがあり、扱いやすい布地であったからと思われる。

「私は私の持っているホワイトとシルヴァーのポプリン地にトリミングをしたいものと考えている。」

ジェーン・オースティン著『エマ』( 1815年刊 ) に出てくる一行である。1810年代の英国でのポプリンはかなり一般的な生地であったのだろう。

「その貴婦人はポプリンのドレスを着、髪にリボンを飾り、手には扇を持ち、首には真珠のネックレスを掛けていた。」

ジョン・オーガスタス・サラ著『船舶雑貨商その他の物語』 ( 1862年刊 ) の一文。おそらくこのドレスはシルクとウーステッドによるポプリンだったと思われる。

「自尊心を慰めるためにバーリントン・アーケードで絹のシャツを二ダース注文し、現金で支払った。」

ドロシー・L・セイヤーズ著『忙しい蜜月旅行』 ( 1937年刊 ) に出てくる一節。「絹のシャツ」がポプリンであったかどうか定かではないが、上等のポプリンが自尊心を慰めてくれることは、間違いない事実である。

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