ベイジング・スーツ(bathing suit)

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水中美服

ベイジング・スーツは水着のことである。海水着ともいう
ベイジング・ドレスはふつう女性用、ベイジング・スーツが男性用。現在のベイジング・スーツはたいていベイジング・トランクスであろう。もちろん、「スウィミング・トランクス」とも。
一般にイギリスで「ベイジング・スーツ」、アメリカで「スウィミング・スーツ」ということが多いようである。

「ベイジング・ドレスの登場は、十八世紀末のことである。人々は明るい戸外のもとスポーツとしての水浴をはじめたのである。( それ以前には裸で水浴することが少なくなかった) 十九世紀初頭のベイジング・ドレスは数多くのフリルをあしらった、色とりどりのキャラコ製のドレス、それに黒のベイジング・ストッキングを組み合わせたものであった。」

ルディミラ・キョバロヴァ、オルガ・ヘルべノヴァ、ミレナ・ラマロヴァ 共編 『ザ・ピクトリカル・エンサイクロペディア・オブ・ファッション』には、そのように解説されている。アダムとイヴの時代に遡るなら、人びとが裸で水遊びをした可能性はあるだろう。それはごく単純にいって、気持良いことであったに違いない。
近世の水浴はアロマテラピーとしてはじまっている。海に入ることは心と身体とを清めることと考えられたのだ。つまり海に入ることは神聖なる行為でもあった。

「私たちは船で海に行き、海に入るには、スウィミング・ガードルとサポーターとを必要とする。」

英国の哲学者、サー・フランシス・ベーコンは『ニュー・アトランティス』 (1626年刊) の中で、そのように書いている。少なくとも十七世紀にもある種の海水浴があったものと思われる。ところで「スウィミング・ガードル」 swimming girdle とはなにか。スウィミング・ガードルは、どうも浮輪の一種であったらしい。なにか浮力のある材質を身体に巻きつけて、海に入ったのだ。それは大きな腹巻のようでもあり、また不恰好なチョッキのようでもあった。ここから想像する限り、泳ぐのが目的ではなく、とにかく海に入ること自体が目的だったようである。
このスウィミング・ガードルは十七世紀のみならず、十八世紀にも十九世紀にも使われたとのことである。

「私はスウィミング・ガードルを着ける。それはアヒルの腹のようであり、流されゆく卵のようでもあり……」

アイルランドの劇作家、ジョージ・ファーカーは『不変の二人』 (1699年) の中にそのように書いている。当時の人の目からも、スウィミング・ガードルは必ずしも褒められる代物ではなかったようである。海に入るための致し方のない服装であったのかも知れない。

「紳士たちは、キャンヴァス地に似たウエイストコートと、ドロワーズとを身に着けている。」

英国の日記作家であり、旅行家でもあったセリア・ファインズは、『セリア・ファインズの旅』 ( 1687年 ) の中で、そのように記している。もし、このキャンヴァス地に似たチョッキと半ズボンとをベイジング・スーツの一種だとするなら、十七世紀すでに水着の元祖があったのかも知れない。

「ブライトンにおける最新の水着は、バフ・トラウザーズの合わせた短い上着である。」

1788年『モーニング・ポスト』9月号の記事の一節である。イギリスのブライトンは今も昔も、夏のリゾート地として知られている所。ここでの「バフ」 buff はどう理解すれば良いのか。おそらくは明るいブラウンのことかと思われる。それはともかく十八世紀、英国紳士は、短い上着とズボンとで海に入ったのであろう。
十九世紀になって、ウール・ジャージー製のタンク・スーツが男の水着に採用された時、男たちは喝采したに違いない。それは革命的に快適であったからだ。ウール・ジャージーがやがて、コットン・ジャージーに取って代わるのは、言うまでもない。

「何処か近くに水着を貸す小家( こいえ ) があるまいかと、其の辺り見廻はすと、不思議や多くの人々は波際を散歩して居るから……」

永井荷風著『アメリカ物語』の一文。永井荷風はアメリカ滞在中のある日、アシュベリーパークに行く。そして海に入ろうとする場面。但しその日は日曜日なので、海には入ることができなかった。
もし永井荷風が水着を借りていたなら、やはりウール・ジャージー製のタンク・スーツであったのだろうか。

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