ヘリオトロープ(heliotrope)

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繊細上品香

ヘリオトロープは花の名前である。そしてまた色美しく、上品な香りのするところから、色の名前でもあり、香りの名前としても使われる。
ヘリオトロープは、「キダチルリソウ」とも、「ニオイムラサキ」とも。フランスでも同じく「エリオトロープ」 heliotrope という。
ヘリオトロープはギリシア語の「ヘリオトロピオン heliotropin から来ているらしい。それは「日に向かう花」の意味であったという。
ヘリオトロープの学術名は、「ヘリオトロピウム・ペルヴィアヌム」で、その花がペルーにはじまっていることを想わせる。
ペルー原産のヘリオトロープがヨーロッパで知られるようになったのは、十八世紀のこと。言うまでもなく花を愛で、香りを愛でるために。十八世紀の南フランスでもヘリオトロープは多く栽培された。そしてもちろんヘリオトロープの香水も作られた。しかし薔薇などに較べても、大量の花からごく微量の香料しか得られない。
ところが十九世紀になって「ヘリオトロピン」が発見。これ以降、比較的効率よくヘリオトロープ香が得られるようになったのである。
ヘリオトロープは、甘く、上品で、繊細な香りがする。少なからぬ人びとから愛されるゆえんでもあろう。余談ではあるが、ヘリオトロープの花言葉は、「献身」。献身の言葉がふさわしい香りと言っても良い。

「この花は、紫色の直径四~五センチの小さな花で、咲きはじめは、中心部が白か淡黄色です。一枝に四十~五十輪の花が咲き、丈は三十センチぐらいの常緑多年生、低木性草木で、下部は木質となります。」

堅田道久著『香水』では、ヘリオトロープをそのように説明しています。ヘリオトロープの花が日本に伝えられたのは、明治の中ころのことである。ということは、あるいは香りとしての「ヘリオトロープ」のほうが、先に届けられていたのかも知れない。

「懐の帶際から引出して、裏( つつ) んだ白絹のハンケチを開くと、香水の中壜。「是ね、兄さんが昨日横濱で二壜買つて来て、一壜は貴方に。」」

小栗風葉著『青春』 (明治三十九年 発表)の一文。この「香水」が、ヘリオトロープ。ただし小栗風葉は「ヘリオトロツプ」と表記しているのだが。そしてその「ヘリオトロツプ」は。ロンドン、「アトキンソン」のものであることが、示されているのだ。
それはともかく明治三十年代に、ヘリオトロープが知られていたことが窺えるであろう。少なくとも横浜に行けば、手に入れることができたものと思われる。
一説に、日本にはじめて輸入されたヘリオトロープは、フランスの「ロジャー・エ・ギャレー」の、「エリオトロープ・ブラン」 ( 白ヘリオトロープ ) であったとのこと。明治二十五年頃とか。
ヘリオトロープが描かれる小説として有名なものは、『三四郎』。夏目漱石が明治四十一年に発表した長篇。

「「ヘリオトロープ」と女は静かに云つた。三四郎は思はず顔を後へ引いた。ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷羊 ( ストレイ シープ ) ……」

これはやがて物語の終章近くでの様子。「女」は、美禰子。実はこのヘリオトロープは、三四郎が選んだものなのだ。

「ヘリオトロープと書いてある壜を持つて、好加減に、是はどうですかと云ふと、美禰子が、「それに為ませう」とすぐに極めた。」

と、第九章に出ているからである。そして三四郎は、夏目漱石の分身と見て良い。というのは『虞美人草』 ( 明治 四十年) にもヘリオトロープが出てくるからである。

「小野さんの手巾 ( はんけち ) には時々ヘリオトロープの香がする。」

「小野さん」が男性であること言うまでもない。明治三十年代末の男たちは、ヘリオトロープを好んだに違いない。

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