ダッチは、「オランダの」意味ですよね。また、「オランダ人」のことでもあります。
Datch と書いて「ダッチ」と訓みます。
「ダッチ・オーヴン」の言い方もあるでしょう。
あるいはまた、「ダッチ・オークション」も。 ダッチ・オークションは、ふつうのオークションとは逆のやり方。
はじめに最高値をつけておいて、そこからだんだんに下げてゆく値づけおことなんだとか。
オランダの画家。たとえば、ゴッホ。あのヴィンセント・ファン・ゴッホのことです。
ヴィンセント・ファン・ゴッホは1853年3月30日に、オランダのフロート・ツンデルトに生まれています。
ゴッホの家系は代々、牧師か絵師が多い。ゴッホ自身も最初牧師になろうとして、後に絵師になった人物なのです。
ゴッホが1887年に書いた絵に、『タンギー爺さんの肖像』があります。ゴッホが三十三歳の時のこと。
この「タンギー爺さん」とは、巴里の画材屋、ジロリアン・タンギーのことなのですね。
ジロリアン・タンギーは1825年の生まれ。ゴッホよりも十八歳上だったことになるでしょうか。
ジロリアン・タンギーは、若い絵師にも親切な画材屋だったという。絵具代の代りに、一枚のデッサンを受けとるようなところもあったらしい。
「ジロリアン・タンギーはすべての人類を互いに結びつけ、つねに痛々しく血なまぐさい利己的、野心的争いを無くすような、そういう絶対的な愛を信じていた。」
ゴッホと同じ時代の画家だった、エミール・ベルナールは、そのように書いています。
ベルナールとゴッホは親友で、多くの手紙のやりとりをもしています。
「昨日タンギーに会った、僕が描きあげたばかりの絵を飾り窓に置いてくれた。」
ゴッホは弟のテオに宛てて、そのような手紙を書いています。1887年の夏に。
ゴッホがテオに、多くの手紙を書いているのは、広く識られているところでしょう。
今は『ゴッホの手紙』として、一冊の本に纏められています。
テオは、1857年5月10日に生まれています。ゴッホよりも四歳下だったのですね。
テオ・ファン・ゴッホは、1873年、十六歳で、ブリュッセルの「グーピル商会」に入っています。この「グーピル商会」は、画商だったのですが。
1878年にはテオは、「グーピル商会」の巴里支店に転勤になっています。この時、ゴッホはテオに、「あの絵を買っておけ」などと助言もしたそうですね。
「絵具を送ってくれてありがとう。上等のウールのベストまで入っていた。きみらのやさしさにおどろくと同時に、僕も何かの形で感謝の気持が説明できたらいいのにと思う。」
1869年11月26日のテオ宛ての手紙に、そのような一節が 出てきます。
これはほんの一例で、テオは何度もゴッホのために、絵具や画材を送っているのです。さらには、五十フランの現金をも添えて。
オランダ人が出てくる小説に、『月と六ペンス』があります。
英国の作家、モオムが1919年に発表した物語。これは当時ベストセラーになった小説。物語の主人公は、ゴーギャンなのですが。
「哀れなオランダ人が一番痛がる場所を見つけ出す彼の手腕には、ほとんど信じがたいものがあった。」
ここでの「彼」が、ゴーギャンであるのは、言うまでもないでしょう。
また、『月と六ペンス』には、こんな描写も出てきます。
「私の心の目は、帆船の上でダンガリー地ズボンひとつで働く彼の姿を思い描いた。」
これは作者のモオムが晩年のゴーギャンを夢想している場面。
「ダンガリーズ」dungarees は、ダンガリー地のズボンのこと。
「ダンガリー」は、インド、ボンベイの地名から出た言葉です。
どなたかダンガリー地のセイラーパンツを仕立てて頂けませんでしょうか。